その3

 

 

 

 

 

 その3・碧き意志

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 疲れ切っているのに、沢渡礼子は眠る事が出来なかった。

 考えることが多すぎた。今日会った人間は、礼子に疑問ばかりを抱かせて去った。

 「ほかならぬ師匠のお嬢様のご依頼だ」と喜んで一美、かれんの探索を引き受けた筈のアーサー・マケインは、初対面の筈の成瀬奈津を、「ナルカミ一族長老」と呼んだ。一美はその超能力を持つ血族の一人だというのか?…

 「麻田かれんさんのお母さんに頼まれて」探索に赴くという唐沢多佳雄は、半年前の花宮雅子の事故死を、殺人らしいと語った。さらにはその犯人が、アーサーかも知れないと告げた。いったいアーサーはどんな動機で?…

 礼子は、一美のこと、そして雅子=まぁのことを思いだそうとする。ふたりの結びつきや、まぁの過去に何かが隠されている気がする…

 回想は再び、まぁの葬儀の時に戻る。あのカトリック聖アガタ教会に、まぁの中学時代の友人たちが何人も参列した。ほとんど言葉を交わすこともなかったが、個性的で印象に残っている。あんな場でなかったら、自分も友人になりたいと積極的に近づいただろう、魅力的な少年少女たち…

 そうだ、特にひとり、忘れられない少女がいた。最初見たとき、一美が来ているのかと間違えた、長い髪で神秘的な瞳をしたあの子…

「確か…サヨコ…そうだ、ツムラサヨコといった。まぁがいつか、ちらりと話したこともあった」

 あの子なら、まぁの過去の秘密を知っている気がする。すぐに連絡が取りたい、不意に礼子はその衝動に駆られる。ベッドサイドの目覚まし時計を見る。午後十時を少し過ぎている。決断して、礼子は通学鞄から携帯電話を取りだし、花宮家の番号を押す。

「こんな時間にごめんなさい、雅子さんの…お兄さんですか?あの、突然で申し訳ないのですが…」

 

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 まぁの兄は、落ち着いた声で、礼子の唐突な依頼に応えてくれた。

「沢渡さん、ありましたよ。雅子のアドレス帳に、電話番号が控えてありました。玲ちゃん…潮田玲さんと、津村沙世子さんの番号でいいですか?」

「はい、ありがとうございます」

番号をメモすると、まぁの兄は「じゃあ…」と電話を切ろうとする。礼子は慌てて声を掛ける。

「ちょっと待ってください、お兄さん。あたし、まぁと半年しか一緒に居られなかった。でも忘れられない友達なんです。今も、まぁの事をもっと知りたい。だからこんなお願いをしました」

「あいつのことを忘れないで居てくれるのは、とても嬉しいですよ。ただ、うちの両親はショックがひどくてね。だから僕はあれから休学して、家に居るんですが」

「そうなんですか…」

 

 礼子はメモした番号を見つめる。潮田玲と津村沙世子、話しやすいのは玲の方だと思った。快活で寛容な雰囲気があった。だが、礼子の知りたいことを答えてくれるのは、沙世子の方だと直感している。

 番号を押す。コール音。四回、五回、六回、

「はい…」

感情を滲ませない、若い女の声が礼子の耳に届いた。

「夜遅くごめんなさい。沢渡と申します。津村沙世子さんはいらっしゃいますか?」

「私ですが…さわたりさん?」

「はい。聖アガタ女子学院で、花宮雅子さんと同じクラス…でした。まぁ…雅子さんの葬儀の時、お会いしました」

「ごめんなさい。覚えていなくて。それで、何か?」

「いきなり変な話で申し訳ないんですが、あたしのクラスメイト、去年はまぁとも同級だったふたりが、二日前から行方不明になっています。その原因が、まぁの事故死とも関係しているらしいんです」

「……それで?」

「ホントに、変な話なんですけど、気を悪くしないでください。まぁが…もしかして、特別な力、いわゆる超能力というようなものを、持っていたかどうか、ご存じでないですか?」

携帯電話は、沈黙している。礼子は掌に汗が滲み、動機が高まるのを感じる。強引だと思ったが、言葉を続けた。

「実は行方不明になった一人は、鳴滝一美っていうんですけど、彼女が超能力を持つ一族の一員だとか言う話を聞いて、まぁが余りにも急に彼女と親しくなったのは、まぁももしかして…」

「ちょっと待って、沢渡さん、今、なんておっしゃったの?行方不明になった子の名前…」

冷徹そのものだった沙世子の声が、動揺していた。

「鳴滝一美、ですけど」

「…まさか…その一美さん、京都の出身じゃないですか?」

「そうです!ええ!?知り合いなんですか?」

 

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 沙世子の声が微妙に変化した。感情のこもった、湿り気のあるものへと。

「私が神戸の中学にいたとき、何度かバスケ部で近畿大会に出場しました。そのたびに対戦した京都のチームに、そう、私とよく似た、彼女がいました。沢渡さん、似ているでしょう?彼女と私。だから、電話してきたのね?」

「はい。最初見間違えたんです、あの教会で。一美とは、親しかったんですか?」

「いいえ」

沙世子は苦笑しているようだ。

「ライバル、敵、仇…試合では向きになって競い合っていました。なんだか、顔を合わせた瞬間から、お互いにそう思っていたみたい」

「話をしたことはなかったんですか?」

「…ああ、一度だけあったわ」

沙世子は懐かしそうに呟く。

「彼女のチームの主力がふたりも病気で欠けていて、私たちが圧勝した時だわ。屈辱に泣きじゃくっていたチームの中で、彼女だけが泣いていなかった。そして私につかつかと近寄ってきて、叫んだの」

「叫んだ?」

「そう、『覚えとき、今度は絶対負けへんで!リベンジしたる!』って。周り中の人がびっくりするような大声でね。私も反射的に大声で答えたわ。『上等や、返り討ちにしたるで!』って」

沙世子はドスの利いた口調でそう叫ぶと、嬉しそうに笑った。

「私ね、神戸でも関西弁使ってなかったの。だから自分でもびっくりした。それで、みんなが目を丸くして、どっと笑ったの。なんかそれで、私も鳴滝さんも吹っ切れて…気が付いたら、握手していたのよ。その時、彼女の掌を通じて、わかったの」

「え?」

「ああ…鳴滝さんは、私と同じだ。何でも出来てしまうから、ひとりぼっちなんだって。私たちはあまりに同じだから、反発し合ってしまうのだと。」

礼子は、ごく、と唾を飲み込む。

「それで、まぁのことは…」

沙世子の声が、翳りを帯びた。

「花宮さんは…全然私や鳴滝さんと違ってた。彼女は私を憎んで、迫害した。魔女狩りのように。でもね、そんな彼女の心には、とても深い闇があったような気がするの。その闇は、有る意味ではとても魅力的な物かも知れない。鳴滝さんが、花宮さんに惹かれていったとしたら、そこなのかな」

「それは、どんな闇なの…」

「沢渡さん、花宮さんは、事故死じゃないのね?そうでしょ?」

鋭い沙世子の声に、礼子の掌に汗が滲む。

 

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「わからない、あたしにはわからないんです。いろんな人がいろんなことを言っています。あたしの知っていたまぁは、ほんの一部分に過ぎなくて、本当のまぁは全然違う人だった気がしてきて、混乱してるんです。津村さん、あなたは、超能力って信じますか?」

迷いのままに、礼子は携帯電話に向かって言葉をぶつけた。沙世子がまた、小さく笑った。

「花宮さんは、私がそんな風な力を持っているんじゃないかと疑ってたみたいだわ。でも沢渡さん、それってほとんど初対面の人間に訊くような質問じゃないわね」

「ごめんなさい、あたし、めちゃくちゃだよね…」

礼子はうなだれて、唇を噛みしめる。その耳に、改まった口調の沙世子の声が響く。

「うん、めちゃくちゃだわ。でも、だからこそ、あなたが真剣だというのがわかる。ねえ、明日、私と会わない?どう?」

礼子は驚いて顔を上げる。胸の中が熱くなる。はっきりと答える。

「すごく会いたい!」

「わかった。場所は…花宮さんの眠る、あの教会はどう?時間は…」

「あたし学校を休むつもり。早く会いたい。朝、九時で」

「いいわ。じゃ、今夜はしっかり休みなさい、沢渡さん」

何の迷いもなく、沙世子は翌朝の待ち合わせを約束して、電話を切った。礼子はしばらく茫然と携帯電話を持ったまま、ベッドに腰掛けていた。

 

 中央自動車道を疾走するデミオの運転席で、アーサーは絶えず携帯電話を耳に当てている。極端に省略した英語の会話が続く。それは、航空管制の通話に酷似していた。時に荒々しく声を高め、片手でハンドルを操るアーサーの横顔は猛々しい。

 

 新宿発飯田行き、中央道高速バス最終便に転がり込んだ唐沢多佳雄は、窮屈そうに大柄な身体をシートに押し込んで目を閉じている。少し眉を寄せた寝顔には、日頃の彼とは少し異なったたくましさが滲んでいた。

 

 成瀬家の寝室。ベッドに横たわる老人に、老女は静かに告げている。

「一美を見つけるのに差し向けた、淳一と蔵人から、連絡が来ましたわ」

老人は、弱々しく頷き、呆れた口調で言う。

「おまえはまだ、淳一と一美を夫婦にして、わしらの跡を継がせようと考えているのかね。淳一が亜希の夫になって、もう三年が経つというのに」

老女は表情を変えず、老人の言葉を無視して続ける。

「たった今、駒峰集落の手前で、岩が流れ、銃声が響き、血を喰らう獣の声がしたそうです。間違いなく、魔多羅のものどもが、封印されていた獣を解き放ったのですわ」

「一美は無事なのか?」

「まだ淳一たちには気配が掴めないとか。でも、わたくしにはわかります。一美はやっと目覚めましてよ」

老女・奈津はゆっくりと微笑んだ。

 

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 一美は、必死になって自分の傷口を探り、指を濡らした血を闇夜にかざす。

「嫌や、うち、特別な力持ってるだけでも、人に怖がられるのに、この上、あの化けもんと同じからだになっていくんか?うちの血、もう緑なんやろか?!」

 えりかが一美の肩を抱きしめる。恐慌状態になりかけている一美を激しく揺さぶる。

「しっかりして!緑色なんかしてないよ。逃げよう、早く、またあいつらが来る…」

 暴れていた一美の身体が、不意に硬直する。大きく見開いた目が、一点を見据えている。えりかは、彼女の視線の先を見るのが怖かったが、否応なくたどり、そして息を詰めた。

 臥龍のように低く地に這った松の巨木に、黒い人影が腰掛けている。勘の鋭いえりかにも全く接近を感じさせなかったそれは、顔だけがおぼろに輝いている。幻かと見まごう、美しい青年の顔だ。

「一美とえりか。怖れなくていい。私はおまえたちに危害は加えない」

「化けもん、かれんをあんな風にしよって、うちの身体を変えよって、許さへん…」

一美が歯ぎしりしつつ呻く。

「すまなかった。もう、おまえやかれんの血を貰うことはない。そして今夜限り、私と魔多羅衆はこの地を離れる。二度と会うこともないだろう」

「そんな勝手な言いぐさがあるんか…」

一美はいきり立ち、黒衣の青年に歩み寄ろうとする。えりかが必死に止める。

「勝手ついでに、もうすこし話を聞いて貰えないだろうか。誰にも邪魔されないところで」

青年は立ち上がり、地面にふわりと降りて、ゆっくりと足を踏み出した。

「一美、おまえは、私の血で蘇らせたい人間がいるのだろう?」

怒りに顔を歪めていた一美が虚を突かれた表情になり、唇が開いて、わななく。青年は一美を見据えて、まっすぐ足を運ぶ。

「私にも、生き返って欲しい家族がいた。だが、この血をもってしても不可能だった。父も母も、妹も、あの夜、骨まで焼き尽くされてしまったのだから…」

 青年は大きく腕を広げた。黒衣が巨大な蝙蝠の翼のようにひるがえり、一美とえりかを巻き込む。一瞬にしてふたりは青年の両脇に抱きかかえられた。

「おまえは…薔薇の香りがする。高貴なかぐわしさだな」

青年は一美の顔を見つめて呟いた。舌打ちして青年の顔めがけ、衝撃波を放とうとした一美は、旋風に似た空間転移の衝撃に包まれ、目を閉じた。

 

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 星がひどく近いところで瞬いている。

 一美が初めに感じたのはそのことだ。さっきまでいた谷間の、重苦しい闇が失せている。夜には違いない。だが、星空はあまりに明るく、そして回りは広々として全く閉塞感がなく…

「ここは…どこ?…空気が、薄い…」

えりかが、岩の上に立ち上がって、首を傾げている。そこは山頂だった。鋭く天を突いて星の光に輝く峰が、ふたりの傍らに聳えている。見渡すと、回りの山々の高さは全て、彼女たちの目の下で、雲の塊がさらにその下に浮かび、地上を覆い隠していた。

 一美は茫然とする。

「こんな、高度差のあるテレポーテーションなんて、呆れるほど仰山なエネルギー使うんよ。うちには絶対できひん」

「たぶんここ、三千メートル越えてる…でもなんで、寒くないんだろう」

トレーナーを着たえりかと、ジャージ姿の一美は顔を見合わせ、黒衣の青年を捜して周囲に視線を走らせる。

 求めた姿は、槍に似た傍らの峰の頂上にあった。ちょうど人一人が座れるほどの広さしかない頂きに、腰を下ろし、黒衣の袖を微かに揺らめかせながら、青年は雲海を見下ろしている。若々しいがどこか沈痛な声が、一美とえりかの上に降ってくる。

「ここなら、私を狙う敵も、会話を盗み聞きすることは出来ない。さっき私が喰らった奴らの靴には、いろいろと仕掛けがしてあったからね」

「食べたの?人を、殺しただけでなく…」

えりかが蒼白になって岩の上にへたりこむ。一美は唇を噛んで降り仰ぐ。

「かれんとうちの血だけじゃ、足らへんかったんか」

「アオイは、私に美しい少女の血だけを飲ませるつもりだったらしい。だがそれはアオイの趣味と言うべきだな。私には、哺乳類の血で有れば、どれも同じだ。今夜私が血と心臓を喰らった者たちは、駒峰にいる人間を殺戮しようとやってきた人間の屑だ。殺して血を啜るのに、あまり心は痛まなかったよ」

「人を殺したのに、言い訳なんて通用しないよ」

えりかは涙ぐんで首を振る。一美は、見下ろされるのに腹が立って、念動力で青年を叩き落とそうと試みた。だが…

「…?あれ?なんで…」

全く力が使えず、戸惑う一美に、青年は、思いやりに満ちた眼差しを向け、首を振った。

「おまえたちは、私の力の膜で包んでいる。だから寒さも感じないけれど、超能力は使えない。一美、おまえは力を使うと、自分をも傷つけるのだろう。今夜はもうやめておけ」

「あんたの、掌の中に居るいうわけや…なら、聞かせて。あんたは何者?なにを、たくらんでるの?なぜ、マシンガン持った敵に狙われてるの?」

 青年は一美に深く頷き、答える。

「それを話すために、ここまでやってきた。だが、えりかは、私のことを少しは知っているようだ。まずは、えりかに話して貰おうか」

 

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 一美は、横にしゃがんでいるえりかに目を向ける。ほっそりした彼女は、赤みがかったふわふわした髪を揺らし、涙を拭った。

「おばあちゃに聞いていたよ。駒峰の光全寺は、魔王を封じ込めた結界なんだって。魔多羅衆は、その魔王をあるじ様と言って崇める一族。魔王は、何十年、何百年に一度現れて、魔多羅衆を引き連れて、世界を壊そうと暴れ回る。光全寺に封じ込められた魔王は、太平洋戦争の終わりに現れて、東京を襲った。でも、負けて、追われて、逃げ込んだ赤石山脈の谷間で動けなくなり、古墳の石棺に閉じこめられて、光全寺に埋められた。光全寺は、大昔に隕石が落下して砕け散った場所で、その隕石のかけらが、超能力を邪魔する放射線を出している。だから、石棺をどこに埋めたのか、魔多羅衆でもわからなくなっている…そんなところだよ」

「魔王…この世の生き物と違うの?」

一美のつぶやきに、青年は首を横に振る。

「私は、特殊な能力を持ってはいるが、生物の一種に過ぎない。そう、無知な若者だった私に知識を授けてくれた人物は、私を称してこう言ったよ。人類に寄生して細々と生きながらえてきた吸血生物、だと」

青年は歌うように語りながら、降り注ぐ星の光に、瞳を暗く輝かせる。

「人類の血に潜んで、時々顕在化する私の種族。この顔立ちは、人間の異性を誘惑してたやすく吸血するため。空間を瞬時に移動し、他者の思考を読み、岩を砕く腕力などの能力も、人間の反撃を逃れるために身に付けてきた進化の賜物なんだろう」

そこまで言うと、青年は視線を一美とえりかに向け直す。

「だいたいえりかの話したことに間違いはない。魔多羅衆が記憶している歴史では、私は六番目の『夜の王』になるそうだ。代々の『夜の王』は、魔多羅衆に推戴されて、その時代におおやけの権力を持っていた『昼の王』に挑み続けた。飽くことなく戦うのが宿命だそうだ」

「戦うってこと、いつだって男は、かっこいいものと思っているのね。あたしには理解できない。むごたらしく命を奪い合う、この世で最低の行為じゃない」

涙を振り払ったえりかが、立ち上がって青年に叫ぶ。

「あたしは、どんな戦いもいや!どんな理屈と正義をくっつけたって、人殺しは許せない。これからも、宿命だと言ってあなたは人を殺し続けるんでしょう。還ってよ!あの石の棺に入って、光全寺で永遠の眠りに就いてよ!」

青年は、落ち着いた表情でえりかの怒りを受け止めた。その瞳には温かいとさえ言える表情があった。

「えりか、何のために私が戦うのか、聞いて欲しい。聞いてもたぶん、おまえは私にやめろと言うだろう。けれど、おまえも私も、普通の人間とは異なる種族だ。おまえのように、全ての命をいとおしむ者も有れば、私のように殺戮と戦いの道を選ばされた者もいる。そのことを、えりかと、一美に伝えたいと思う」

 一美は頭を手で抱え、唇を噛む。

「なんで、うちに話したいやなんて思うん?」

「おまえもまた、人類の血に潜んで顕在化する、特別な力を持った一人だからだ。そしてその力をどう使うか迷っている子供だからだ」

 

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 青年の真摯な声に、えりかと一美は、無言で岩の上にうずくまり、耳を傾ける。

「私は、貧しい家に生まれて育った。両親と妹がいた。私以外の家族は、普通の人間だったし、自分自身も、ずっと我が身の特異さに気づかぬままだった。

 やがて私が成人したとき、この国は戦争をしていた。徴兵検査で現役入隊し、わたしは兵士となった。何処と言って優れたところもない無名の兵士だった。

 だが、戦場に赴いて私は、自分の異常さに気が付いた。傷を受けてもたちまち癒えてしまうのだ。銃弾が身体を貫いても、そのまま戦闘が続けられる。敵の砲弾が炸裂して、回り中の兵士が死傷した中でも、私だけは戦い続けていた。手榴弾が目の前で爆発して、顔が原形をとどめなくなったときも、野戦病院に運ばれて翌日には元通りに治っていた。

 その頃の私は、この国のために命を投げ出すのが運命と思っていた。満州の赤い荒野で、中国の泥濘の山地で、フィリピンの暑熱のジャングルで、私は普通の人間なら確実に死亡する傷を受け、そのたびに蘇った。

 そのことはやがて軍の上層部にも知れて、私は内地に戻され、陸軍の研究所に収容された。私のような不死身の兵士を大量に作り出せば、軍は無敵となり、自分たちの野望は叶うと、この国の支配者たちは考えたのだ」

 黒衣の青年の声に、悲しみと怒りが滲み始める。

「私の戦友…不死身でなどある筈のない兵士たちは、私の回りでおびただしく死んでいった。ふるさとにいる母を呼びながら、血を流し、病に冒され、飢えに苦しんで死んだ。なのに、内地に戻った私の回りにいたやつらは、同じ軍隊の人間でありながら、誰も傷つかず、たらふく食べ物を口にし、尊大に一般人をこき使い、そして私を、実験材料として扱った。私は血を採られ、肉片を切り取られ、電流を流され、様々な薬品を投与された。質問も抗議も許されなかった。お国のために辛抱しろ、奴らはそう言うだけだった」

「そんな中に、一人だけ私と親しく話してくれた人間がいた。関根教授、と呼ばれていた。何故か彼は私を、教育してくれた。無知な若者だった私に、基礎的な教養から、軍の機密に至るまで教えてくれた」

 関根教授、の名前を口にした青年は、複雑な表情になる。

「高等小学校しか出ていなかった私に、何冊もの書物を渡して読むように勧めた。実験されるとき以外の時間、私は貪るようにそれらを読んだ。歴史書も、哲学書も、乾いた砂が水を吸い込むように理解できた。そして彼は、信じられない情報も私に伝えてくれた。この国のやっていることはでたらめだと。民に向けてのラジオや新聞での発表では、勝ち戦ばかり続いているのに、実際には海軍の軍艦はほとんど沈められ、陸軍の兵士は無謀で場当たりな作戦で、おびただしい無駄死にを続けていると」

 

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「私は次第に実験に反抗するようになった。暴れる私は、麻酔剤を打たれ、拘束衣を着せられ、収容する部屋も地下の牢獄めいた場所へと移された。

 日の光を浴びなくなった私の身体に、急速に変化が現れた。肌が日毎に透明になっていったのだ。それと同時に、私の頭の中に、遠い声が聞こえるようになった。その声は、私を夜の王、真の王と呼び、早く目覚めて自分たちを導いて下さいと懇願していた…魔多羅衆の長であるアオイが、念話で呼びかけていたのだ。

 昼は関根教授に学問とこの国の状況を教えられ、夜はアオイに魔多羅衆と夜の王の事を告げられる。そんな日々が続くなかで、私がただ願っていたのは、父母と妹の安全だった。何度申請しても家族との面会はおろか、手紙すら書けなかった。ある夜、我慢できずに私はアオイに向かって心の中で叫んだ。私の家族は無事でいるのか!と」

 青年は言葉を切り、星を仰ぐ。えりかと一美の心に、痛みが降ってくる。

「私の叫びがアオイに届くとは夢にも思わなかった。アオイから念話が返ってきたとき、私は愕然とした。アオイは私の叫びに答えて、こう告げたのだ。

 私の父は工場に徴用され、過酷な労働に倒れて病床に就いた。母は父に代わって生活費を稼ぐために病院の掃除婦となっている。妹は女学校から動員されて兵器工場で油にまみれていると。

 私は激怒し、関根教授に問い糺した。名誉の戦傷を重ね、今は国のため実験に耐えている私、その家族に、国は何も報いてくれないのか、と。

 関根教授は、笑って答えた。戦死したならば、あるいは傷痍軍人となったならば、恩給は出る。だがおまえは、全く健康ではないか。そんなおまえの家族に、国が金を支給する義務はない…」

 青年の悲しみと怒りは、物質のようにえりかと一美の胸を刺す。

「私は、家族に会わせてくれと懇願した。だが黙殺された。夜になってアオイからの念話で、既に戦争の状況は末期的で、帝都東京にまで敵機が爆撃を行い始めていると知った。私の家族は東京の下町に住んでいたのだ。焦る私にアオイはさらに言った。もっと耳を澄ませば、多くの民の苦しむ声が、王には届くはずです、と。それでも私はまだ信じていた。この国の戦争は正義の戦いであり、いつか必ず勝利すると」

 えりかの目から、涙の滴が頬に伝わった。

「けれど、関根教授は冷笑しながら私に教えた。軍の上層部、国家の指導者たちの誰一人、この戦争をどうやって終わらせるのか、考えていないのだと。なすすべもないまま、強力な敵の爆撃機が連日飛来して、日本中を火の海にしていると」

 青年の声は決して高ぶらず、歌うようである。

「私は耳にする言葉に戸惑い、我が身の変化に怯え、日々狂乱していた。そしてあの日が来た。昭和二十年三月十日。東京が猛爆撃を受けて壊滅した日だ。あの夜、私にははっきりと聞こえた、敵機の空襲で家を焼かれ、身体を焦がして死んで行く無数の人々の声。その中には、私の父、母、妹の叫びもあった」

 

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「声だけでなく、家族の姿までが、私の脳裏に届いた。動けない父を抱きかかえて、防空壕に逃げ込もうとした母と妹の上から、焼夷弾が降ってきて、生きながら三人は燃えていた。その瞬間私の身体に激烈な変化が生じた。あの時、実験への反抗が激しくなっていた私の手足には、鎖が繋がれていたのだが、それが弾けとんだ。巨大な野獣の形に変身した私は、鉄格子も紙のように引き裂き、錠の下りた鉄扉も破って、研究所を脱出しようとした。ただ、断末魔の叫びをあげる父と母と妹を救いたかった」

 涙を流すえりかの横で、一美は唇を噛んでいる。

「銃弾が容赦なく私に飛んできた。私がついこの間まで友軍と信じていた兵士たちが、恐怖して私を集中射撃した。拳銃や小銃の弾丸は、私の足を止めることすら出来なかった。私が爪を振ると、兵士の首が飛び、牙は鉄帽ごと兵士の頭を噛み砕いた。血にまみれて私は地下室から地上へと駆け上った。建物の外に飛び出すと、重機関銃が待ちかまえていたが、私は跳躍して銃座に襲いかかり、一撃で破壊した。そして振り仰いだ夜空は、血のように赤かった。東京は燃えさかる地獄だった。もう、父と母と妹の声も聞こえなかった。三人の命が燃え尽きたことがわかった」

 青年は、目を閉じて口をつぐんだが、すぐにその真紅の唇は動き出す。

「絶望に吼え狂う私の前に、和服を着た若い女が現れた。一目で彼女がアオイだと理解できた。彼女の顔は、歓喜の表情だった。あるじ様、ついに目覚められたのですね、そう彼女は言った。私は叫んだ。私の家族を奪った者はどこにいる、今この手で仇を討つから教えろと。その時、高い笑い声がした。振り返ると白衣の関根教授がいた。彼もまた満面に喜びを湛えていた。ゾアントロピーだ、超常能力の顕現だとわめき、小躍りしつつ、空を指さした。おまえの家族に爆弾を降らせた敵機はあそこにいる、だが、本当の敵は、地下深く安全に潜っているこの国の指導者たちだと、関根教授はわめいていた。その時、私たちの頭上に、巨大な飛行機が現れ、瞬く間に空を裂いて焼夷弾の雨が降ってきた。火炎に埋め尽くされた研究所の庭から、私はアオイを抱えて脱出した。関根教授はどうなったかわからない。

 アオイがすぐに魔多羅衆を召集し、空間移動能力を持った者に命じて、私たちは東京湾の船上に移った。夜明けが来るまで、私は燃えさかる東京を見続けた。やがて黎明が目を刺した。アオイは私を黒い布で覆い、船の底で眠るように言った。夜の王は、夜間でこそ無敵だが、太陽の光が弱点で、浴びると皮膚を焼かれ、動けなくなるのだと」

 

     40

「そうなんか…ドラキュラと一緒なんや。やっぱり」

一美は乾いた声で呟く。精一杯皮肉と敵意を込めようとしているが、語尾は揺れる。

「どらきゅら?私の語彙にはない言葉だが…、余計な感情を込めて、長く喋りすぎたかも知れないな。もうあまり時間はない」

 黒衣の青年は身じろぎして、わずかに話し方を早くする。

「私は船腹で眠った。三日間ほど眠り続けて、目が覚めたときはひどく渇いていた。アオイはやはり、少女を用意して私にその血を吸わせた。そして、私のなすべき事、宿命についてアオイが語ってくれた。だが、その日のうちに、敵が襲ってきた。一美、おまえがその血を引く、鳴神一族だ」

青年に指さされて、一美はこわばった表情になる。

「もともと魔多羅衆と鳴神一族は、同族だったというが、数百年前から敵対している。私の乗っていた船は沈められ、魔多羅衆も鳴神一族も、お互いに犠牲者を出しながら戦いは続いた。私はその戦いにも、国の戦争にも、意味を見いだせなかった。だから単身、宮城(きゅうじょう=皇居)を目指した。無益なだけの戦争を続けている国の指導者たちに会おうとした。だが、近衛師団の銃火に足を止められているうちに、鳴神一族の念動力で縛られ、日の光を浴びて動けなくなった。アオイたちがその私を救い、魔多羅衆とともに私は逃避行に移った。けれど、この谷で、裏切りにあった」

青年は、えりかを指さして、静かに言葉を続ける。

「えりかの祖母が、私の居場所を鳴神一族に告げたのだ。古代の豪族の墳墓で、石棺の中に眠っていた私は、棺ごと念動力で光全寺の墓地に飛ばされ、隕石のかけらで埋められた。それが結界となり、私は封印されたのだ」

えりかは涙に濡れた顔を激しく横に振る。

「おばあちゃは、裏切ったんじゃない。戦いをやめさせたかっただけだよ。あなたが目覚めている限り、魔多羅衆は、絶対に勝ち目のない戦いを続けなきゃならない。あなたが魔多羅衆の好戦的な性質をあおるの。おばあちゃはそれが耐えられなかった。あなたさえ眠っていれば、魔多羅衆は平和に生きていけるんだと」

青年の顔に、初めて強い感情が浮かんだ。目を吊り上げて、えりかを糾弾する。

「おまえはわざと、魔多羅衆の苦難の歴史を忘れているな。超常能力を持っているために、権力者から怖れられ、迫害を受けて魔多羅衆には安住の時代などなかった。権力に屈し、その能力を売った鳴神一族以外は、魔物、妖怪と忌み嫌われて、逃げ隠れてきたのではなかったか!」

青年の目からほとばしる怒りの凄まじさに、えりかと一美は声もなくすくむ。

「魔多羅衆という名前に当てた漢字も、おそらくは権力者が忌まわしい字を使ったのだろう。魔多羅衆が山野に隠れ、密やかに生きていこうとしても、権力者が踏み込んできて容赦なく狩るのだ。さらには、私にしたように、権力者は超能力者を戦争の道具にしようとした。鳴神一族は進んで能力を軍に提供していたが、魔多羅衆や、そのほかの超能力者は、鎖でつながれ、実験動物とされていたのだぞ」

 

      41

「えりか、それでも私に、戦うなというのか」

火を噴くような眼光を浴びながら、えりかは必死に反論する。

「殺し合いは、だめだよ。あなたの戦いに、勝つ展望はあるの?半世紀前だって、あなたほどの超能力があっても、人間の武器にかなわなかったんでしょう?今の武器はもっと進歩している。あなたと魔多羅衆がどんなに頑張ったって駄目だよ。超能力を、戦う道具にするのは間違ってるんだよ」

 青年は、黒衣の中から、銃を取り出した。彼が殺戮した男たちが持っていた、キャリコサブマシンガンの一丁だ。

「この機関短銃をみれば、武器の進歩はよく分かる。これを作っている者どもこそ、私が倒すべき敵だ。わからないのか、えりか。人間の世界に戦争がなくならないのは、こんな武器を作り、売って儲けることを生きる手段にしている輩がのさばっているせいだ。そいつらが、国の命運を握り、世界の運命を左右しているからだ。私の戦いは、魔多羅衆や虐げられた超能力者の自衛の為だけではない。私の父も母も妹も、超能力など持っては居ない普通の人間だった。家族の命を奪った本当の敵が誰かと、私は考え続けた。それは戦争を欲した奴らだ。私の力が何のためにあるのかと問うならば、敵を滅ぼすことと答えるしかないのだ。それがどんなに不利な戦いであっても」

「間違ってる、間違ってるよ。人殺しの道具を作る人間が悪いのはわかる。でもそれに対抗して、人殺しに手を染めてしまったら、相手と一緒になってしまう。戦いは戦いを呼ぶだけだよ、きりがないよ」

 えりかは、一歩も引こうとしない。青年は視線を一美に転じた。

「時間がない。伝えるべき事を言っておこう。私は一美と、その友人のかれんから血を貰った。その時、私の唾液が一美とかれんの体内に入った。私の体液、血液が侵入した者はからだに変化を起こす。軍の実験では様々な現象が起きた」

 一美が、緊張して渇いたのどに唾を飲み込んだ。白い額に汗が滲む。

「輸血した場合、重症の負傷兵が瞬く間に回復した例もあれば、血が合わずに即死したり、発狂したり、全身に毛が生えて知能が退化し、野獣化したりと、結果はまちまちだったらしい。一方私の唾液には、快楽を覚えさせる物質が含まれると同時に、一時的に私の不死性を伝達する効果があるそうだ」

「一時的?」

一美が鋭く反応する。青年は頷く。

「そうだ。時が経てば、一美のからだは、元に戻るだろう。それを言っておきたかった。あとは、魔多羅衆が伝えてきた、私の血の効能だ。闇雲な軍の実験と違い、いくつかの確実な効果がわかっている。一美は知りたいはずだ」

 暗く目を輝かせる一美を見て、えりかが激しく首を横に振る。

「一美、駄目だよ!それは、禁断の行為だ。死んだ人を生き返らせるなんて、人を殺すのと同じくらい、命の決まりに反してるよ!」

えりかの叫びをさえぎり、一美はきっぱりと問いかける。

「聞かせて欲しい!ほんまに、まぁを生き返らせることが出来るの?」

 

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「まぁ…花宮雅子というらしいな。なぜそんなに、その少女に執着するのだ?」

「名前まで分かるのに、うちの気持ちは読めへんの?」

「おまえも少しは念話の力があるのなら理解できるだろう?知識や固有名なら読むのは簡単だが、瞬時も止まらず揺れ動く心や気持ちを読心するのは、私にも難しい」

 一美は、ひからびた唇を嘗め、苦痛に耐える表情で、声を絞り出す。

「なんでかやなんて、うちにもわからへんわ。まぁは、うちが生まれて初めて持つことが出来た友達やった。一族の仲間は、何でも分かり合えてしまうから、息苦しくて、友達言うのとはかなり違う。普通の人間は、うちがどっか違ういうことがわかると、みんな逃げるか距離を置いてしまう。まぁは初めて、普通の人間で、うちと友達になってくれた。うちがこんな力を持っていると分かっても。うちは…だから、まぁを一生守ると誓った。うちの超能力は、そのために使うのだと決めた。それやのに…まぁはうちの目の前で車にはねられた。うちの腕の中で、まぁの身体、どんどん冷たくなっていった。うちは、何にも出来へんかった。うちの力、何の役にもたたへんかった。けど、まぁを生き返らせる可能性があるのなら、うち、まぁにもう一度役に立てる。まぁのために、出来ることはなんでもしたいんや!」

 碧色の瞳が、じっと一美の目を見つめる。赤い唇が静かに言葉を紡ぐ。

「私の血は、野獣の姿に変身したときから緑色に変わった。この血を生きている者が直接飲むと、アオイのように若返ることが出来る。ただし私と同じように太陽の光には耐えられなくなるのだ。そして、死んだ者には、私の血を死体の心臓に注ぐと、復活できる。鳴神一族との戦いで倒れた魔多羅衆は、確かにそれで元通りに蘇った。だが、死んで時間が経った者には、まだ試したことはない。だから、どんな姿で復活するのかは、わからない。魔多羅衆の言い伝えでは、私の命令で動くだけの、感情のない人形のような存在になる場合もあるらしい」

「それじゃ…ゾンビーじゃないの」

えりかが顔色を変えて一美のジャージの腕を掴む。しかし一美にはえりかの言葉が耳に入らないようだ。

「らしいとか…言い伝えだけやの?どうなるのか、確かなことは、わからへんのね?でも、生き返ることは確かなんや…」

「そうだ。それでも、私の血が欲しいのなら、受け取るがいい、一美」

 えりかが絶叫する。

「やめて!やっぱりあなたは魔王だ。心の弱さにつけ込んで誘惑し、魂を地獄に引きずり落とそうとしてるんだ!」

 一美が、黒衣の青年に向かって、歩み始める。長い黒髪が夜風に旗のようになびく。

「それでも…ええ!まぁのために、血を、分けて!」

 

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 岩山の頂上に座ったまま、青年は黒衣の袖を翻し、夜目にも青く光る左腕をさらす。右手の人差し指の爪を、肘近くの肌に押しつけて引く。滴る血を右の掌で受け、溢れそうになると、包み込むように握りしめる。そしてしばらくして、その右手を振り、卵ほどの物体を、一美に投げ下ろした。

 受け止めたそれを、一美は大きく目を見開いて見つめている。まだ温かい血の塊は、濁った赤と緑が混じり合った色をしていて、表面は樹脂のように固まっていた。

「今はそんな色をしているが、やがて碧玉そのものの色になる。そうしたら、死体の心臓の上で握りつぶせ」

青年の言葉はどこか沈痛だ。えりかが夢中で一美につかみかかる。

「そんなもの、捨てて!」

「いやや!うちは、まぁを生き返らせる。邪魔せんといて!」

突き飛ばされて尻餅をついたえりかは、敗北感を滲ませた顔で口をつぐんだ。

「もう、時間がない。夜明けと同時に敵がまた、やってくる。私はあの谷間に戻るが、おまえたちは、望むところへ届けてやろう」

黒衣の青年は立ち上がる。長身が山頂に聳えて、奇才が刻んだ彫像のように、まがまがしくも美しい。

「うちは、まぁの眠る教会の墓地へ!」

「あたしは…駒峰の廃校に戻らなきゃ…」

きっぱりと叫ぶ一美の声と、口ごもるえりかの呟きが交錯した。青年の黒衣が旋回し、空間が歪む。

 

 気が付くとえりかは、体育館の暗がりに、胎児のように身体を丸めて転がっていた。傍らに多恵が座って、えりかの身体を揺さぶっている。

「えりちゃ、大丈夫かな、しっかりするんだに!」

「ああ…多恵ばあちゃ、みんなは、みんなは無事?」

起きあがってえりかは見回す。頭がふらつき、耳鳴りがした。気圧が急激に変わったせいだろう。

「あの一美とかいう子と、あんたの彼氏がおらん。ほかは、みんなおるけど」

 えりかは、無言で自分を見守っている駒峰集落の老人たちを、改めて見た。年齢よりも若く見える多恵のほかの四人は、皺深く白髪で、皆、とても似通っていた。老人にしてみれば過酷な筈の、ここ数日の境遇に、一言も不平を漏らさず、影のようにじっと体育館に座り、何事かささやき続けていた四人。唐突にえりかは、老人たちに言葉を掛けた。

「おじいちゃ、おばあちゃたち…ここ、夜明けに、敵が襲ってくるよ。戦いが起こる。逃げなきゃ!」

 

 

 

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