その9

 

 

 

 

 

 その9・空爆の下

        129

 キリトに向かって、えりかが進み出る。細いが力の籠もった声が、七月の陽光の中に響きわたる。

「鳴神一族は、あたしを通じて、魔多羅衆と交渉します。キリトさん、あなたは魔多羅衆を代表できますか?」

 珍奇な動物を観る目つきで、キリトはえりかを嘗めるように見つめる。えりかは怯むことなく真正面から視線をはじき返す。キリトは唇をねじ曲げて呟いた。

「…もっと喋ってみなよ、小娘」

「では、あなたを代表として依頼します。すぐに鳴滝一美さんと津村沙世子さんの現状を知らせて下さい。二人の無事が判らない限り、交渉は成立しません」

 キリトの目に苛立ちが燃え上がる。

「捕まえているだけだ。何も危害は加えちゃいないさ」

「それが、確認できるようにして下さい。姿を見せて貰うか声を聞かせてくれるかしないとだめです」

 毅然としたえりかの態度に、キリトは粗暴に怒鳴り声をあげる。

「何をえらそうに!一美が欲しかったら、何を代わりに寄越すか言え!」

 

 監視役の看護婦のような女が、ナナセを見て椅子から立ち上がる。一美と沙世子、礼子を連れていることに目を丸くして声を上げようとする。

 その瞬間、ナナセは右手を付きだし、女の肩にスタンガンを押しつけた。火花が散り、女の身体が硬直して床に崩れ落ちる。ナナセは足早に部屋を突っ切り、廊下への扉を開く。白いトーガ姿の一美と沙世子は、よろめく足を踏みしめ、支え合って進む。高校の制服を着た礼子は、唇を噛みしめ、二人をかばいながら、周囲に視線を凝らす。

 ナナセは金髪のウイッグを光らせながら、暗い廊下をたじろぐことなく歩いていく。すぐに階段に到達し、降り始める。踊り場のある、ごく普通の階段だ。三階から二階、一階と下り、廊下を移動すると、さらに、もっと小さな階段を降り始めた。それは、ひどく不揃いな段を刻んでいて、ほとんど闇に近い中で、礼子は足を踏み出すのに恐怖を感じた。しかし、閉じこめられていた部屋から離れるに連れて、一美と沙世子には生気が戻っているようだ。暗闇にも平気で歩いていくナナセに遅れることなく、しっかりとした足取りになっている。

 あたりの空気が、じっとりと湿り気を帯びてきた。苔かカビのような匂いが立ちこめる。時折壁を光らせていた不思議な照明も途切れた。闇の中でナナセの声が密やかに響く。

「あるじ様は、この奥にいるよ。会わせてあげれば、あたしの願いを聞いてくれるんだよね?」

 

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 ナナセの声にかぶさって、野獣の唸りか地響きのような音響が、湿った空気を揺るがせた。礼子は全身に冷たい汗が噴き出すのを覚えた。音は、すぐに、言葉となって耳に届く。

「…戦士の魂を持った少女よ、なぜ今、ここにいる?」

 野獣の問いかけに、一美が答える。

「うちらは魔多羅衆に捕らえられたんや。魔王とその妃に、うちと沙世子の血を生け贄にする、言うねん」

 闇の底の主は、不快そうに唸った。

「妃…カーリー・マーのことか。魔多羅衆はあの少女の裡にある深淵を見くびっている。私と彼女が会すればどんな現象が生じるか、誰にも予測できないと言うのに」

 沙世子が驚いて問いかける。

「魔王、あなたにも、わからないと言うの?」

「おまえの意志と違うんか?マーと結婚式するのは!」

一美も戸惑って疑問を投げる。魔王の声は、人間に近くなった。

「魔多羅衆は、石棺に満ちた私の碧血に手を浸し、貪り飲んだ。彼らは皆、能力を飛躍的に高めて、自分たちの力に酔っている。勝手にいろいろな策動をしているようだな。私は、この地下に籠もってから、ひたすら、今の人間界の情報を集めていた。インターネットのおかげで、ここから一歩も動くことなく、膨大な量の知識を手に入れることは出来たよ」

 暗がりの彼方に、電子の光が浮かび上がる。幾つものモニターが輝き、キーボードを前にして、木の椅子に腰掛けている長身の男の姿が浮かぶ。男は、一美と沙世子が着ているような、古代ローマ風の寛衣をまとっていた。凄まじいほどの美貌がモニターからの青白い光に照らし出される。初めて見る礼子にも、その男が人間ではないことが瞬時に理解できた。

「魔王、ならば、マーを救って。私は、彼女を倒そうとした。でもできなかった。花宮雅子は、私の、かけがえのない友達のひとりなの。吸血の黒い女神を、彼女から切り離して、闇の中へ戻して!」

 沙世子が、魔王に駆け寄り、悲痛な声を絞り出す。一美が頷いて、沙世子の肩を握る。

「うちもそう願うてる。魔王、マーと魔多羅衆の暴走をとめられるのは、あんたしかいいひん。あんたの碧血をつこうて、カーリー・マーを呼んでしもうたのは、うちの愚かさのしわざやった。頼む、償う方法を、教えてほしいんや」

 二人の美少女の、切望の瞳を見比べながら、魔王は、ゆっくりと首を横に振った。

「私は、私の力で何が出来るか、探り続けている。碧血の持つ力、カーリー・マーの秘めた能力、それを持ってして、人間界を殺戮の世界にしている奴ら、武器商人たちにとどめを刺す方法を探り出したい。だが、マーの力は今もって底知れない。花宮雅子と分離して、闇に帰す?そもそも、雅子とマーが別のものかどうかすら、わからないのだ」

「じゃあ、あなたはどうするつもりなの!魔多羅衆はあなたとマーを王と王妃にして、ここで国を作る気なのよ。戦争をしてでも、自分たちの独立を果たすつもりでいるの。あなたは、そんなことが可能だと思ってるの?!」

沙世子が、魔王の腕を掴んで揺さぶりながら叫んだ。

 

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 魔王は、淡々と語る。

「独立、か。この日本国だって、独立国家とは言えないだろう。米国の軍隊に金を出して駐留してもらい、米国のする事には何一つ異を唱えない。キメラ・グループが私設軍隊を動かすのも黙認している。せざるを得ないのだ。

 私がここに拠点を構えたのは、戦うためだよ。独立するために戦うのではない。戦うことだけが、私の存在する理由だ。

 そして魔多羅衆は、祭がしたいのだよ。王と王妃を迎えて、自分たちの国を持つ、その瞬間の歓喜と生命の爆発を味わいたいのだ。そう、祭の中に一瞬だけ存在する王国だ。祭が終われば、魔多羅衆は散る。放浪し、潜伏し、また王が現れるのを待って」

 沙世子と一美は、魔王の言葉に戸惑う。一美が、首を傾げて訊ねる。

「あんたと、魔多羅衆は、思惑が違ういうの?あんたは、その祭が終わるといなくなるん?」

 魔王は微笑を浮かべる。

「キメラグループは、在日米軍の一部をも動かして、私を攻撃しようとしている。彼らは米国の意志を体現しているつもりだろう。日本の権力者はそれに従うしかない。私の待ち望んでいる戦いになる。その戦いこそが、祭なのだよ。炎と血に彩られた巨大な祭典となるだろう。ナナセが、歌で予言しているようにね。そして戦いの中に、私は消える」

 息を飲み、絶句する沙世子と一美、そして礼子の後ろから、ナナセが声を上げた。

「予言!?予言なの?あたしの歌は!」

「おまえの口から紡ぎ出されるのは、未来の断片だ。おまえの無意識界は、時空のうねりと繋がった。だからおまえは、まだ誰も知らない景色を夢見て歌える。存分に歌え、祭の時はすぐだ」

魔王がナナセに語る声は、温かく優しい。しかし礼子は、氷を飲んだように身体の芯が冷たくなるのを感じる。

(ナナセの歌のどれかは…自分が死んでいくことを歌っていなかったかしら?)

「冗談じゃないわ。アメリカの軍隊に攻められたら、戦いになんてならない。今、夢の島に集まっているのは魔多羅衆だけじゃないのよ。それこそ、お祭りを観に来ているただの人たちが、虐殺される!」

沙世子が怯えて頭を抱える。魔王は微笑したまま、静かに続ける。

「そうだ。あの日、私の家族にしたように、何の罪もない夥しい人間を、奴らは殺そうとするだろう。そんな奴らの本質を引きずり出してやるのだ。確かに敵の戦力は巨大だ。それでも、戦える方法を、私は考えている。言っただろう、戦うことだけが私の存在理由だと。でなければ、人間の血に寄生して生きながらえるだけの妖怪にすぎない」

「あんたは…死に場所がほしいんか?」

一美が唇を噛みしめて、魔王に怒りの視線を向ける。

 

       132

 えりかは、何の気負いもなく、すらりとその言葉を発した。

「一美さんと沙世子さんを返してくれたら、夢の島の攻撃計画を教えることが出来るわ」

「攻撃?ふざけるな、鳴神一族が攻めてくるなら、一美はその場で八つ裂きにしてやる」

「違うわ。米軍の戦力を動員して、キメラ・グループが空爆を目論んでいるの」

 キリトの顔に狼狽が走る。予想もしていない展開だったらしい。素早くえりかが畳みかける。

「あなたでは話にならないようね。あたしの言葉を理解できる人に代わってもらえる?」

「アオイを呼んでいらっしゃい、坊や」

奈津が、冷然と浴びせかけた言葉に、キリトは歯ぎしりしつつ、右手を振り回した。

「おい、こいつらを轢き倒せ!縄でくくってバイクで引きずって連れて行く!」

 待ちかねていた2台のV-MAXが、猛然とスロットルを開き、高々と前輪を持ち上げながら襲い掛かろうとした。

 しかし、ほとんどエンジン音もあげずにダッシュしたセンチュリーのバンパーが、一台を弾き飛ばす。辛うじて逃げたもう一台はスピンターンしてセンチュリーの運転席のドアに体当たりするが、頑丈な鋼板が微かに凹んだだけだ。歪んだハンドルで必至に転倒を避けながら、ライダーはなおもセンチュリーに突っ込もうとする。ガラス越しに、ひかるが白い歯を見せて獰猛に笑った。急ハンドルとアクセルオンに加え、ハンドブレーキを同時に掛けたセンチュリーの車体はコマのように回転し、長いトランク部分が横殴りにV-MAXに叩き付けられる。大型バイクの車体は火花を散らしてアスファルトの上を転がる。

 だが、乗っていたライダーは、大きくジャンプして、センチュリーの屋根の上にしがみついていた。手足に吸盤でもあるかのように、蛇行する車体の上から落ちることなく、フロントガラスにじりじりと貼り付いて、ひかるの視界を奪う。その間に、最初にはねられた方のV―MAXは立ち直って、えりかと奈津に太いタイヤを向けた。

「やめるのよ!」

えりかの叫びが、エキゾーストの轟きを貫いて響いた。唐突に、バイクと車のエンジン音が止む。急停止したセンチュリーからライダーが振り落とされ、つんのめったV-MAXは無様に転倒した。

「えりかちゃん、これは君が…」

バイクの突進からえりかと奈津をかばおうと両手を広げていた多佳雄は、目を丸くして振り返る。進み出たえりかは、キリトに刺すような視線を向け、凛然と告げる。

「時間がもったいないわ。早く交渉を進めましょう。あたしたちを、魔多羅衆の長のところへ、連れていって!」

 

      133

 それはとこからともなく始まった囁きだった。

 祭は今夜始まる。と

 祭だ。待ちかねた祭だ。今夜だぞ。さあ支度を急げ。ありったけのご馳走。一番の晴れ着を。いくさ装束を。酒を。武器を。歌と踊りと、たたかいの夜になるぞ。

 夢の島に、異様な興奮の熱気が立ち上り始めた。屋台の主たちは、仕入れや仕込みに一斉に取りかかり、何台とも知れない軽トラックやバンがエンジンを唸らせて走り出す。興奮し、浮き足だった群衆が、爆発のエネルギーを蓄えながら、ばらばらに動き始めた。

 地鳴りに似た騒音の中を、えりかが進む。顔色をなくした中年男・キリトを先に立て、奈津を先導し、大地を踏みしめて行く。多佳雄と、センチュリーを乗り捨てたひかるは、衛兵のようにえりかと奈津を挟んで高く頭をもたげる。

 屋台やテントの波の中心に、体育館が聳えていた。キリトはよろめくようにその入り口に入っていく。開かれたドアの向こうは、暗黒だった。

 広大な空間には、何一つ明かりがない。全員が踏み込むと、ドアが閉められ、漆黒の闇が支配した。

 奈津が静かに言った。

「半世紀ぶりに、味わう魔多羅衆の精神波…ひとしお邪悪にねじれたものね」

「みっともなく年老いたわね、成瀬奈津」

艶やかな中に、底知れぬものを秘めた女の笑い声が闇の中に充満した。同時に、暗黒の中心に、青い炎がともる。熱を発しない、冷たい火だった。

 幽鬼のような人影が十数人、炎を半円形に囲んで立っている。銀色の振り袖を着て、黒髪を長く垂らした美女が、真紅の唇を吊り上げ、凄艶な笑みを浮かべて、奈津を指さした。

「やっと、やってきたか。自分の息子がなぶり殺されたときも、おまえは出てこなかったのにな。それほど、一美が大事か」

 奈津が口を開こうとするのを制して、えりかが前に出る。

「あなたが、アオイさんですね。一美さんと沙世子さんの無事を確認させて下さい」

 居並ぶ魔多羅衆が一斉に罵声をあげ、えりかを指弾する。

「裏切り者の孫が、何をしゃしゃり出てきた」「取引なんかしないわ」「全員魔王と妃の生け贄にしてやる」「あのふたりは最高の捧げ物だ。誰が渡すか」

 えりかは怯まない。

「さっきまでのやりとりは、念話であなたたちも聞いているでしょう。時間がありません」

 銀の袖を振り、アオイが哄笑した。

「我らが王は全てを見通されておいでだ。我らには何も怖れるものはない。空爆?何を馬鹿な」

 

    134

「確かに、一般の人間もこんなに集まっている場所に爆弾を降らすなんて、正気の沙汰じゃないけど…でも、本当なのよ!」

振り絞るえりかの声を、アオイの笑いがかき消す。

「聞け、小娘。常人どもがどんな汚れた武器兵器を使っても、我らが王には通用しない。今宵はいよいよ祭が始まると決まった。それは、敵の攻撃も見通してのことなのだ。きゃつらの爆弾や銃弾で、祭に集まった者どもが流す血、それもまた、王と妃への供物となるのだ。溢れる血を貪って、碧血の魔王とカーリー・マーが契りを結ぶとき、地上の権力は覆るだろう。我らが王国が、世界の覇者となって君臨するのだ」

 えりかは青ざめて立ち尽くす。多佳雄も茫然と闇を振るわせる哄笑に聞き入る。だが、異音が混じった。低く押さえた含み笑い。それは次第に大きくなり、アオイの笑いを圧倒していく。

「何がおかしい!成瀬奈津!」

真紅の革のジャンパーとパンツを身に付けたワクラが、美貌にポニーテイルの髪を乱して奈津に詰め寄る。えりかも多佳雄も驚いて奈津を見る。

「ああ…おかしいこと。魔多羅衆っていつまでも大人になれない、夢見る少年少女たちなのですね。何度、碧血の魔王を信じて、同じ事を繰り返せば気が済むの?あなたたちが支配者になる日など、永遠に来はしない。数十年、数百年に一度誕生する魔王を担いで、一瞬のお祭りに命を捧げ、あとは屈辱と迫害の日々を、未来永劫続けるだけ、それがあなたたちの宿命なの」

「黙れ!おまえこそ、のこのことあたしらの真ん中に出てきやがって。祭の最初の生け贄となるがいい!」

叫んだワクラは、眼光を奈津に据えて、右手を突き出す。その瞳は深緑色の輝きだ。ばりばりっと何かが裂ける音がした。ワクラの足元で、体育館の床板がめくれあがり、折れ裂けた線が稲妻型に奈津に向かって走る。目に見えない強力な力が、奈津を引き裂こうと突進するのを、えりかと多佳雄は直感した。

 だが、床の割れ目は、奈津の直前で停止し、同時に奈津の全身が白い霧のようなもので覆われた。ワクラが驚愕し、うめく。

「老いぼれが…なんてパワーを…」

 霧の中から、奈津の声が響く。

「えりかさん、多佳雄さん、離れなさい。ここまでありがとう。あとはわたくしと、アオイの宿業がぶつかるしかないようです」

 その言葉が終わらないうちに、アオイが銀色の袖を翻して飛び下がった。一瞬遅れて、魔多羅衆めがけて、霧の中から10数本の白銀の氷柱が散弾のように発射された。罵声と悲鳴が魔多羅衆から湧いた。

 ワクラは、信じられないと言う目つきで、自分の胸をまさぐり、あふれ出した碧の血潮に手を染めて、膝を突く。胸に刺さった短剣のような氷柱が、背中まで貫通したのだ。

 

     135

 歯ぎしりしながら、ワクラは床を転がる。その後ろで、やはり腹を氷柱で突き抜かれた魔多羅衆の若者が目を吊り上げて喚く。

「こんなもので、碧血の力を得たおれたちを倒せると思うのか、ばばあ、覚悟しやが…」

若者の言葉は続かなかった。奈津を包む霧の一部が突風と共に若者に吹き付けると、その身体は瞬時に凍結し、氷像となって転倒した。上半身がばらばらに砕け散った。

 強烈な冷気が奈津を中心に放散されている。多佳雄はえりかを抱きかかえ、建物の壁際に走る。

「奈津さん…なんてこった。これじゃ伝説の、雪女じゃないか…」

 えりかは涙ぐんで叫んでいる。

「戦ってはだめ!あたしたちの力は、戦うためのものじゃないんだ。戦争ばかりやってきた人類とちがう生き物に、進化していくんだよ。嘘ばかりの言葉じゃなくて、真心で語り合える生き物になるはずなんだよ」

 氷霧というべきか、触れるもの全てを凍らせる動く霧は、逃げるアオイを追って闇の中を荒れ狂っている。魔多羅衆の放つ念動力はまったく通用していないようだ。ついにアオイは暗幕を張った壁に追いつめられ、氷柱の剣がその袖を暗幕に縫いつける。そして氷霧がアオイの全身を覆った。

 だが、その瞬間、アオイを包む真紅の炎のボールが生じた。氷霧の先端があっけなく消え、炎の舌が逆に霧の中心に突き進む。霧は薄れる一方で、瞬く間によろめく奈津の姿が浮かび上がった。アオイの哄笑が復活する。

「我らには血と炎の女神がおわす。見よ、まもなく王妃となる麗しくも強大な、黒き女神の降臨を!」

 体育館の高い天井に、業火の輪が生じた。狂おしく凶暴な光を発しながら、火輪は猛回転し、空気を焦がしながら降りてくる。その中心に、小柄なボブカットの少女。しかし、その身体から放つ圧倒的な存在感は、まるで巨人でもあるかのように錯覚させる。魔多羅衆の歓呼の叫びの中、少女は奈津の斜め上空、五メートルほどの位置に静止する。

 純白の、ふんわりと身体を覆う和服に、長い緋色の袴。巫女の姿ではない。多佳雄の脳裏に、平安時代を舞台にした時代劇映画のシーンが浮かぶ。

(女が少年の衣装をまとって踊るときの姿…白拍子とか言ったっけ。烏帽子や太刀は着けていないけど)

そう思いながら少女の顔を見て、多佳雄は目を見開いて叫ぶ。

「まあちゃん!」

「カーリー・マー!」

同時に奈津が憤怒の表情で声を上げ、冷気と氷柱を叩き付けた。クリスタルガラスが砕けるような音ときらめきが散り、奈津の攻撃はすべてはじき返され、逆に火球が奈津を襲う。

 

     136

 地下の闇の中にも、その異様などよめきは届いた。魔王は呟く。

「カーリー・マー……目覚めたか」

 一美が目を大きく見開き、耳に手を当てている。

「おばあちゃん……なんで、戦ってるん?無理や、いやや、死んだら、あかん!」

一美の声は絶叫になり、その吐く息に薔薇の香りが強烈に混じった。礼子は悲痛な表情になって一美にすがる。

「駄目だよ、そんな弱ったからだで、超能力を使ったら、脳が壊れちゃうよ」

だが、沙世子が礼子を制して、一美にぴたりと寄り添う。

「行こう!一美のおばあちゃんのところへ。あたしのおばあちゃんみたいに、手遅れにはしないよ!」

一美と沙世子は手を握りあい、目を閉じて強く念じる。二人の輪郭が、小刻みだが激しい振動におぼろになり、消失した。

「どこへ行ったの!?」

礼子は振り向いて魔王に訊ねる。美貌の青年は、頭上を振り仰いだ。

「祭が、始まるのか。いつだってそれは唐突で、準備が整った試しがないと聞いていたが、今度もそうか」

 魔王の指が、キーボードを走り、幾つものモニターを端から閉じていく。闇の中の電脳群は、完全に死滅した。そして魔王は立ち上がると、重い黒いガウンをまとい、歩き始める。

「ナナセ、ついてくるがいい。序幕が終わろうとしているが、祭の本番の幕を開けるには、おまえの声が必要だ。礼子も来い。全てを観ることがおまえの宿命だ」

 ナナセは嬉々として、礼子は深い恐れと不安を抱きながら、長身の美青年のガウンにすがるようにして、闇の階段を昇っていく。

 

      137

 凄まじい水蒸気を立ち上らせながら、炎と氷霧が激突する。爆発音が連続し、瞬間的に膨張した空気が衝撃波となって多佳雄や魔多羅衆を壁や床に叩き付けた。うめき声を上げながら、多佳雄は必死にえりかを探す。立ちこめた湯気と煙で、ただでさえ薄暗い体育館は、まるで見通しが利かない。

 しかし、霞む視界の中、微かに、ほっそりした娘の姿が見えた。氷霧の中心、奈津が居ると思われる場所へ、まっしぐらに駆けていく。

「あぶない!戻れえりかちゃん!」

「もうこれ以上の殺し合いは許さない!」

多佳雄の叫びに、えりかの凛とした声が重なったとき、不意に炎の音が止んだ。同時に氷霧が薄れ始める。魔多羅衆が動転した表情で立ちすくんでいる。アオイさえもだ。

 涼やかな一陣の風が吹き渡り、氷霧が完全に消えた体育館の床に、えりかは奈津の肩を抱いて立っていた。老女は束ねていた白髪を山姥のように乱して棒のように娘に寄りかかっている。そこから少し離れて、白拍子姿のマーは、無表情で静かに佇んでいる。

「小娘、いったいなにをした?」

胸の傷からほとんど立ち直っているワクラが、血混じりの唾を飛ばして喚く。えりかは涙ぐみながら、ワクラやマーを見つめて訴える。

「あたしたちは、戦うために生まれてきたんじゃない。どうして超能力者は女の方が能力が優れていることが多いと思う?あたしたち女は、命を育むんだ。力を合わせて子供たちを育てる存在なんだよ。経験豊かなおばあちゃんや、まだ出産には遠い女の子も一緒になって、未来に向かって歩くんだ。人間の男は、男同士戦って、自分の遺伝子だけを残そうといがみあう。それは仕方がない。男と女を比べれば、肉体の力はどうしたって男の方が強い。だから人間の世界は、男が主導権を握る。だから争いが絶えない。あたしたちは、なんで超能力を持ったと思う?戦いをなくすためなんだ!超能力に優れた女が連帯して、男たちの戦いの本能を押さえて、平和で豊かな世界を作り出すために。なのに、こんな戦いをしていては、何の進歩もないじゃないの!」

 えりかの言葉に、誰もが茫然とする中、ひとり、マーだけが、自分の掌を見つめてつぶやく。

「火が出ない……ふうん、超能力を使わせない超能力、なんだね、おまえの力って」

 その時、微かな振動音と共に、奈津とえりかの傍らに、抱き合った二人の少女が出現した。白い寛衣に艶やかな黒髪を揺らした、双子のような彼らは、それぞれ奈津とえりかに駆け寄る。

「おばあちゃん!」

奈津を抱きかかえた一美は、溢れる涙を老女の疲れ切った顔に注ぐ。えりかの手を握った沙世子は、かつて誰にも見せたことのないほどにきらめく瞳をしている。

「あたしが超能力を持って生まれたことには、意味があったんだね!」

激しい感動と歓喜に上気する沙世子の顔は、神々しいほどに美しく、多佳雄の目に映った。

 

      138

 一美に抱えられていた奈津の顔が、不意に歪み、眼前の床を凝視する。鋭い眼光と青ざめた表情は、最大の緊張と恐れを示していた。逆に、アオイの顔は、苛烈なほどの期待と喜びに燃え立つ。

「魔王!ついにまみえるか」

「我らが王よ、疾(と)く来られませ!」

老いた声と艶やかな叫びが交錯する中、体育館の床に円形の輝きが生まれた。まるで海底から巨大な碧色の海月(くらげ)が浮かんでくるように、碧色の光が膨張する。

 その輝きの中心に、ナナセと礼子、二人の少女を脇侍のように従えた黒衣の魔王が、ゆっくりと上昇してくる。魔王と少女達の肉体は、何の摩擦もなく地下から床板を通過してくるようだ。

「えりか、すべての戦いを終わらせる、そんな力がおまえにあるとでも思うのか」

魔王が声を発したとき、その足は床を踏んでいた。

「戦いで流される人の血を貪って、悪龍のように肥え太り続けてきた、死の商人どもを、おまえは甘く見ている。私に狙いを付けたキメラ・グループの空爆を、おまえはどう阻止するつもりなのだ」

「逃げればいいのです!今すぐ、みんなで力を合わせて、夢の島にいるすべての者を、脱出させましょう」

 えりかの叫びに、アオイがせせら笑いを返す。

「王と王妃が揃われたのだ。もはや我らに怖れるものはない。皆の者、こやつらを引っ捕らえて、祭の準備を!」

驚きから回復した魔多羅衆が、その声に応えて、えりかや一美、沙世子に包囲陣を形作る。

「魔王!無駄なことはやめさせて!こんな争いをしている場合じゃないことは、あなたが一番知っている筈よ」

 抗議するえりかに、魔多羅衆の敵意に満ちた視線が集中する。それを跳ね返そうとするかのように沙世子がえりかをかばいながら立ちはだかる。

「一美、奈津おばあちゃん。えりかを連れて、テレポートで逃げて」

沙世子の唇が発したその言葉に、一美は目を見張り、激しく首を横に振る。

「駄目やで沙世子!あんたひとりで時間を稼ごうやなんて」

「いや、時間は、もはや、なくなったな」

魔王が静かに言い放った言葉が、異様な緊張を招いた。

「敵の軍艦の群れが、今、攻撃の火蓋を切ったようだ…巡航ミサイルが来る」

 

       139

 全長170メートルあまり、全幅17メートルの細長い船体。満載排水量8000トンを越える、アメリカ海軍スプルーアンス級駆逐艦である。

 その艦橋に立ち、アーサー・マケインは歓喜に顔を輝かせていた。夕闇の東京湾。藍色の空に、轟音を残して発射されていく、巡航ミサイル・トマホーク。4連装発射機2基から、8発の悪魔の使者が放たれた。固体燃料の赤黒い火炎を噴きながら、全長6メートルの円筒が上昇していくのを、アーサーは熱狂して見送る。

「GO!、GO!、GO!、GO!、GO!」

灰色の都市迷彩色の戦闘服で立つアーサーの横には、海軍の制服の男がいる。階級章は駆逐艦の艦長を示していた。

「我が艦から8発、2隻の僚艦からも同数。そして、浦賀水道沖のロスアンジェルス級原子力潜水艦3隻から4発ずつ。合計36発のトマホークだ。夢の島は、あと5分で死滅するぞ」

 艦長の声に、アーサーは哄笑をあげる。

「正義の鉄槌だ。先制攻撃こそが勝利の要だ。この決定は遅すぎたほどだ。夢の島に巣くう敵の脅威が、ようやくホワイトハウスにも理解できたのだ。当たり前だな、あのビーストはその気になれば、大統領の寝室にも一瞬でテレポート侵入できる。やつらが大量破壊兵器を手にしてテロを始める前に殲滅する。それ以外の選択肢があるはずがないのだ」

「しかし、初めて実戦で使用するのだぞ、中性子弾頭を」

呟く艦長の顔は暗く、青い目は陰火のように暗鬱だ。アーサーは熱に浮かされた瞳で笑い飛ばす。

「36発のうち、4発だけだろう。この艦から発射されたのは、通常弾頭だ。おまえが気にすることはない。綺麗な核なのだ。放射線であの島を薙ぎ払い、汚れた生き物を根絶やしにしてくれるだけだ」

「横田からは、無人攻撃機も飛び立つのだそうだな、アーサー。あれも初めて実戦登場だろう」

「ああ、CIA秘蔵の巨大トンボさ。カメラアイを備えていて、自分で敵の位置を判断し、マーベリック対地ミサイルを撃ち込む。ロボット兵器だ。トマホークと同じだな。コンピューターの脳を積んで戦いに行く機械戦士だよ」

「そしておまえ達、キメラグループの天使たちは手を汚すことなく、戦果を確認しに行くというわけか。放射能が消えたあとで」

苦い声で言う艦長に、アーサーは表情を歪める。

「さて、それはどうかな。最後に敵の息の根を止めるのは、銃弾と銃剣だとおれは思っている。綺麗な核とロボット兵器だけで、全部済むとは思っていないよ」

 獰猛に歯を剥き、アーサーは脇の下の拳銃ホルスターを叩く。戦闘服の袖をまくり上げた腕には、電撃で受けた火傷の痕がまだ生々しい。

 

    140

 奈津と一美の後ろに控えていたひかるのポケットから、不意に携帯電話の着信音が鳴る。エリック・サティの「ジムノペディ・第3番」の緩やかな曲が、緊迫した体育館に、瞬間、不思議な雰囲気を与える。

 携帯を耳にあてたひかるは、微かに頬をひきつらせて、奈津に告げる。

「蔵人からです。空爆が開始されたと」

「貸して!」

一美が携帯をひったくった。

「空爆って何?どんな攻撃が来るの?」

蔵人の声は、苦渋に満ちて切迫している。

「明日の零時の筈だった。いきなり、巡航ミサイルを36発も発射しやがった。距離がない、ほんの数分でそこに届くぞ。すぐに逃げろ、一美!奈津様と二人だけでも」

 魔多羅衆の中で、30歳くらいの男が、狼狽して叫んでいる。

「そんな馬鹿な、キメラグループとは取引が出来掛かっていたんだ。この王国は、奴らも黙認し始めていると」

「お黙り、みっともないよジグラト!おまえの小賢しい裏工作など、王にはお見通しさ。あの取引は奴らの情報を手に入れる作戦の一つに過ぎなかったんだ」

アオイが苦々しく吐き捨て、魔王に向かって訊ねる。

「さて、我らはいかが致しましょう、ご命令を」

「ここに、このままいるがいい。碧血の輝きが及ぶ限りは、バリアで護られる。炎と血で祭の幕が上がるだろう」

魔王が何の感情も匂わせずに言うと、魔多羅衆の中には明らかに安堵の気持ちが漂った。

 だがその空気をえりかの怒りの叫びが破る。

「あなたたちは、自分たちだけが生き残り、そとの何万人という人たちの血で、祭の杯を酌み交わすつもり!?あたしは許さない」

 一歩二歩と進み出るえりかに、魔王は、驚きの目を向けた。

「おまえは、本気で、ミサイルを全部、とめるつもりなのか?」

「誰ひとり、殺させるものか!!」

絶叫と共に、えりかの身体が、ゆっくりと宙に浮いた。いきなりオレンジ色の光が彼女を包んだ。振り仰ぐ一美達に向かい、えりかは手をさしのべた。

「一美さん、沙世子さん、来て!力を合わせて、力を振り絞って、飛んでくるミサイルを、あたしたちの力で、全部、とめるの!」

 二人の少女が、決然と手をさしのべて、えりかと繋ぐ。三人の超能力少女は、三美神のように眩しい輝きを発しながら上昇する。体育館の天井に迫る。暗黒の天井が裂けた。深い夕闇の青黒い空。瞬く星と、流れるあかね雲の中に、えりかと一美と沙世子は、松明のように輝く三柱の女神だ。

 真上に顔を向けて、必死に目を凝らす礼子は見た。三人それぞれの身体の中心、おそらく子宮の位置からあふれ出たオレンジの光が、夕空一杯に満ちるのを。

 

    141

 固体燃料で上昇した巡航ミサイル・トマホークは、ほどなくターボファンエンジンに点火して水平飛行に移る。あらかじめインプットされた地形情報と自身のレーダーによる地上のデジタル光景を照合しながら、正確に目標を目指す。

 えりかの能力を持ってすれば、ターボファンエンジンの燃料発火を消すことも、弾頭の起爆装置を殺すこともできたかもしれない。だが、彼女にはやってくるミサイルがどんなものかわからなかった。銃の発砲や自動車エンジンの稼動を止めた経験通りに行くかも確証はなかった。

 だから、突入してくる物体とその炸裂の衝撃を、物理的に跳ね返すしかない。その判断は瞬時に一美と沙世子にも伝わった。夢の島の中空に上昇した3人は、島全体を覆う念動力バリアを張ったのである。

 アオイも、奈津も、魔王すらも、夢想だにしなかった巨大な超能力の発現であった。

 

 駆逐艦艦長の立つ背後で、突然戦闘ディスプレイの画面が立ち上がる。

「緊急情報。偵察衛星からの画像が出ます!」

艦橋の幕僚達が、緊張して集合し、壁面の巨大な画面を仰ぐ。アーサーも将校達を押しのけるようにして見入る。

「なんだこれは!」

驚きの叫びが口々にあがった。夢の島は巨大なオレンジ色の真円にすっぽり覆われていた。

「横須賀とA-wacsのレーダースコープを重ねます」

ディプレイに、明滅する光点が出現する。飛行中のトマホークだ。横須賀沖から最初に発射された数発は、オレンジの光の縁に、突入しようとしている。

「なにいっ!」

アーサーは絶叫する。トマホークを表す光点は、オレンジ色のドームに触れた瞬間、火炎を噴いて四散消滅した。次々とトマホークは、夢の島を覆う光の球に接触しては爆発していく。

「夢の島から2キロの、無人監視カメラからの映像!」

別のディスプレイが起動し、テレビカメラの映像が出る。巨大な半球状の光のバリアにぶつかり、空中で砕け散るトマホーク。ジェット燃料が真紅の炎の花を開くが、弾頭が炸裂している様子はない。

「あのバリアを吹き飛ばすよう、起爆装置を作動できないのか!」

アーサーが艦長に怒鳴る。だが艦長は顔面蒼白となり、画面を見据えたままうわごとのように呟く。

「…これは、神のなしたもうた奇跡だ。罪もない民を巻き込んでの先制攻撃などという暴挙を、神の手が防いでいるのだ」

 駆逐艦3隻からのトマホーク24発が、すべて阻止された。浦賀水道沖から、房総半島をかすめて飛ぶ、原潜からの12発が、次々と夢の島に到達する。

「だめか、だめなのか、一発もあのバリアを破れないのか!」

アーサーは喚きながら、艦橋の窓から、水平線の彼方に血走った視線を向けた。遠く、雷鳴のように轟いてくる爆発音。

 艦長が、深い畏れを目に浮かべて、アーサーの肩を掴む。

「中性子線の放射も確認されなかったぞ。トマホークは全弾、不発で阻止されたのだ。それより、この映像を見ろ!」

 指さす中央ディスプレイは、拡大映像だ。監視カメラからの映像をそちらに出している。オレンジ色の輝きの中心、夢の島の体育館上空に浮かぶ、3人の若い女性。

「魔女どもめ!魔王の愛人め!」

アーサーは身を震わせ、唾を飛ばして罵声を放った。

 

   142

「艦を動かせ!5インチ砲を撃ち込むんだ。あの魔女どもを生かしておくな!」

激昂するアーサーに、艦長はノー!と叫ぶ。

「我々の受けた命令は、トマホーク発射だけだ。もう、やめろアーサー。あの少女達は、おまえの姉を儀式で惨殺した、悪魔崇拝者達とは全然違う。もっと…崇高な者たちだ。魔女などではない」

「黙れ!超能力者は全て悪魔と契約した魔女だ。ひとり残らず抹殺するのが、神に誓ったおれの使命だ」

 床を踏みならし、アーサーは戦闘室を出ていく。

「おれの部隊の出動を繰り上げるぞ。すぐに準備に掛かる。ハイテクのロボット兵器などやはり頼りにならなかった。無人攻撃機もどうせ役立たずだ。銀の弾丸を撃ち込み、木の杭で突き刺し、この手で引き裂いてやる!」

 

 夢の島、新木場、若洲、辰巳にかけて直径2キロに及んだ光のドームが、ゆっくりと消えていく。

 巡航ミサイルが宙に砕け、運河と海に散っていくのを、群衆が大歓声をあげて見送った。多佳雄も礼子も体育館を飛び出して、それを目撃していた。そして振り返り、空中の3人を見上げる。

「えりか…ちゃん?」

喜びに輝いていた多佳雄の顔が曇った。3人の中心にいたえりかが、一美と沙世子に両脇を抱えられて、地上に降りてくる。えりかはだらりと手足を垂らし、がっくりと首は胸元に折れている。そしてあのオレンジ色の光は、一美と沙世子からしか発せられていない。えりかの細い身体は青黒い夕空の中に紛れそうなほど、存在感がない。

 どよめきに包まれて、輝く一美と沙世子が、ぐったりとしたえりかを地上に降ろす。力無く横たわったえりかに、沙世子が飛びついた。

「えりか!えりか!駄目よ、返事をして!あなたは、あたしに希望をくれた。未来を見せてくれた。なのに、そのあなたが!」

 礼子は不吉な推測に全身凍り付かせながら、一美達に駆け寄る。沙世子が必死に揺さぶる力に、えりかののけぞった顔がぐらぐらと揺れている。その頬は白磁のように血の気を失い、ぼんやり見開いた瞳は、何の光も反射していない。そして、強烈な花の香りが礼子の鼻腔を衝く。山百合の芳香のような…

「超能力を、あまりにも大きな力を振り絞って、えりかは、えりかは…」

血を吐くような声で、一美がうめき、歯を食いしばって膝を突いた。沙世子はなおもえりかを揺すっていたが、ふと自分の手に流れてきた熱い液体に気付く。山百合の香りを放つそれは、えりかの鼻と耳の穴から、滴り落ちていた。血と透明な液体と灰色のゼリーのようなものが混じり合った、トロトロした粘液…

 多佳雄が、そっと沙世子の手をえりかから離させる。抱き留めたえりかの首筋に指を触れ、顔を伏せて、横に振った。

 ざわめいていた群衆が静まり返る中で、沙世子の悲痛な号泣が天に響く。

 

    143

 人垣が割れて、小柄な影が進み出る。金髪のウイッグを捨てて、黒髪をなびかせたナナセが、えりかの顔に目を据えて近寄っていく。その手は、卵大の物体を握っている。指の間から、碧緑の液体が滴る。一美が顔をひきつらせて飛び出し、ナナセの手首を掴む。

「やめるんや!そないなこと、えりかは望んでへん」「放せ!えりかが必要なんだよ、雄太のために!」

ナナセは凄絶な光を目に湛えて、一美に抗う。能力を振り絞って疲労の濃い一美は、暴れる少女を御しきれない。

「沙世子、手伝って!碧血を、とりあげて!」

一美が叫ぶが、沙世子は迷って動けずにいる。えりかを蘇らせたいという願望が、沙世子の裡にも膨れ上がりつつあった。

 そのとき、夕闇の空に、突然数十の光点が出現した。火の尾を曳いて地上に突っ込んでくるそれを見つけたのは、礼子と一美のほか、数人しか居ない。

「いけない!まだミサイルが…」

歯噛みして一美がナナセを突き放し、身構えた瞬間、幾つもの円錐形の弾体は、体育館に突入し、また、群衆のただ中に突き刺さっていた。

 爆発音が連続し、炎と血が噴きあがった。その余りの衝撃に、ほとんど悲鳴すらあがらなかった。礼子は多佳雄に抱きかかえられて地面に転がっていた。突き刺すような匂いが鼻から入り、耳は爆風で痺れた。無我夢中で目を開けたとき、一美が宙に浮き上がり、怒りに震えて右手を天にかざしているのが見えた。そのからだに、火花が散っている。ひどく大きな蜂の羽音のような響きが近づく。

 空から、グライダーに似たモノが舞い降りて、その鼻先が銃火を放っていた。小さな飛行機が、一美を狙い撃っているのだ。その一機だけではない。何機もが夢の島の空低く舞い降りては、機関銃の弾丸を、抵抗するすべもない人間達に降り注いでいる。

 無数の銃弾を浴びながら、全て跳ね返した一美は、高く挙げた右手を、鋭く振り下ろした。その手に引き寄せられるように、遥か天空から、紫色の電光が走った。さっきの爆発音に数倍する大音響が、天地を揺るがした。白熱の雷電が乱舞する無人攻撃機を木っ端微塵に砕いた。

 

    144

 多佳雄が驚愕の叫びをあげる。

「一美ちゃん、君は、まるで、神だ」

「まだまだ、こんな程度ではないはずです。一美の力は」

ひかるに支えられて立ちながら、奈津の瞳が期待と喜びに輝く。その背後で、半壊した体育館が炎に包まれている。崩れかけたその出入り口から、魔多羅衆が次々と駆け出してくる。

 礼子は空に浮かぶ一美から目が離せない。裂けた白い寛衣をなびかせて飛ぶ姿は、天女を思わせるが、その全身から噴き出す怒りと戦意のオーラが、彼女をワルキューレのように見せていた。

「もう、もう敵は、いないの!?」

一美が叫んだとき、体育館の火の手の真ん中から、巨大な火球が飛んだ。瞬時に一美の全身は真っ赤な炎に呑み込まれる。だがたちまちそれは四散し、視線を下に向けた一美は雄叫びをあげた。

「カーリー・マー!決着をつける気か?」

炎の中から、地鳴りのように少女の声が轟く。

「言った筈よ。あたしは全てのサヨコを呑み込んで、あたしが伝説になるんだって!」

体育館が爆発した。膨れ上がる赤黒い炎の中から、無数の火球が連射されて一美に突進する。その後ろから、白い着物と緋色の袴を着たマーが、両手を広げて上昇する。

 一美のバリアにはじき返されたおびただしい火球は、地上に堕ちて火柱をあげ、街路樹やテントや車、そして人間を炎のオブジェに変えた。それらを振り向きもせず、一美とマーは真っ向から激突した。

 真紅の炎と白熱の雷電が、礼子の振り仰ぐ空一杯に炸裂した。凄まじい熱気を感じて、顔を覆って倒れた礼子の、意識が薄れていく。

 

……礼子、目を開けなさい。おまえは、全てを観なければならない。それが、おまえの、役目なんだ……

 誰かの囁きが、頭の中に響いた。礼子は、荒い息を付きながら、歯を食いしばって身を起こした。

 あまりに残酷で壮絶に美しい光景が、目の前にあった。

 

 

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