その10

 

 

 

 

 

 その10・女神たちの行方

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 礼子の視界にある、ほとんど全ての物体が燃えている。立ち並ぶテントと屋台、バイク、ワゴン車や軽トラック、欅や櫻などの街路樹、そして体育館や温室、清掃工場、新木場駅の駅舎、鉄道に立ち並ぶ電柱や様々な付属物、貯木場の材木…あらゆるものが、紅蓮の炎をあげて、凄まじいばかりの明るさが夢の島を満たしている。その光に照らされて、人間達は、走り、叫び、乱舞し、立ちすくみ、倒れ、しゃがみ込み、怒り、祈り、涙を流し、そして…

 小山のように盛り上がった、人間の塊が、礼子の視線を釘付けにした。傷つき、あるいは既に息絶えた者も含めて、数え切れないほどの人間が、折り重なって塔のようになっているのだ。直径50メートル、高さ20メートルほどにもなる、人間のピラミッド!

 その頂点に、ナナセが座っている。身体をよじり、天に向かって手を差しだし、か細いからだの少女は、歌い始めた。全身全霊を込めた、絶唱。

「ばかだったよ、あたし。何も見えていなかったよ。

 欲しいと思った全てのモノにさよなら。

 愛した人みんなにさよなら。

 砕け散れ、あたしの思い。

 銀河に散らばれ、あたしの涙。

 未来は、全部ここにあった。あたしの熱い血の中に。

 だくだく脈打つ、あたしの血に。

 あたしの血を、燃やせ!祭の松明に火を付けろ!

 喰らい合い、殺し合って綴ってきた、幾十億年のいのちの歴史に

 けっして賢くなれない人間の性(さが)に

 悔しさと怒りと、哀悼を込めて

 あたしの血を、燃やせ!」

 ナナセの歌声に、まだ生きている人間のほとんどが叫びを合わせた。言葉にならない、いのちの底から噴きあがる合唱だった。

 全身総毛立ちながら、礼子はただ、視線を巡らす。仲間は、どこだ。一美は、沙世子は、そして、まぁは!

「やっと、やっと会えたわ…」

歓喜に満ちた涙声が、礼子の耳に滑り込む。忘れかけていた友人の声。振り向くと、焦げた大地を踏みしめて、制服姿で歩いていく、麻田かれんの姿が目に飛び込んだ。髪も服も砂と埃にまみれて、可愛らしかった頬もやつれ、別人のように痛々しいが、かれんの瞳は喜びに輝いている。彼女の目指すのは、ひときわ巨大に燃えさかる公園の森だ。

「かれん!どこへ行くの!危ないよ!」

飛びついて肩を掴んだ礼子の手を、かれんは邪険に振り払おうとする。

「あるじ様を、やっと見つけたのよ、邪魔しないで!」

 

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 礼子には感知できないが、かれんは炎の中に魔王が居るのを確信しているらしい。ためらいもなく進んでいく。礼子は引きずられた。しかしそのとき、緊張した叫び声が交錯した。

「鳴神一族がテレポートして来るぞ!」「迎え撃て!」「望むところよ!」

 怒りと悲しみに顔をひきつらせて、礼子は天に叫ぶ。

「もう、やめて!たたかいなんて!」

 炎に照らし出された広場に、七人ほどの男が突如出現した。リーダーは鳴神一族の蔵人だ。その瞬間、彼らの周囲に数人の魔多羅衆がテレポートしてきた。同時に、蔵人たち鳴神一族の戦士は右手を突きだし、魔多羅衆もそれぞれの姿勢で、超能力をぶつけ合った。

 少年のような魔多羅衆の若い男が口から血を噴いてのけぞる。腹を押さえてのめった別のひとりもまた、血反吐を吐いて痙攣する。蔵人は、目を細めて右の掌から目に見えない力線を照射し続ける。だが、その横で鳴神一族の戦士もまた、首の骨を砕かれ、かまいたちに全身切り刻まれ、ばたばたと倒れた。

 ついに立っているのは蔵人と、魔多羅衆のひとりだけになった。

「念殺者、蔵人…何人、殺ってきた」

「おまえは、狂犬三兄弟の長男のメラムか…」

20代の若者の表情をしたメラムは、目を吊り上げ、歯噛みしながら、蔵人に念力の刃を叩き付ける。蔵人の肩や太股から血がしぶいた。蔵人は表情を変えず、開いた右の掌を、ぐいと絞るように閉じる。メラムの顔が苦痛に歪み、飛び出しそうに見開いた目が、白目を剥く。内臓をずたずたに引きちぎられ、メラムは地面に倒れ、でたらめに四肢をくねらせた。

「一美は、どこだ!」

ひとりだけ生き残った蔵人は、仲間の凄惨な死体を見向きもせずに走り出す。

「蔵人、奈津様がここに!」

ひかるの叫びがして、蔵人は足を止める。倒れた電話ボックスの陰に、老女を抱きかかえて長身の女が居た。

「一美は、カーリー・マーと戦っています。まだ、空で」

奈津は、わななく手で天を指す。

「たった七人かい、やってきた鳴神一族の戦士は」

嘲笑が湧いた。奈津とひかると蔵人を取り囲んで、圧倒的な人数の魔多羅衆が姿を現した。銀糸の和服の裾を長く引いたアオイが、超然と奈津を見下す。

「せっかくの祭に、存分にたたかい、決着をつけるつもりだったのが、拍子抜けだよ。もう生かしておくこともない、奈津、あの世へ旅立つがいい」

 蔵人とひかるが、両手を広げて奈津を護るために楯になろうとした。その二人を、後ろから奈津が引き倒し、逆に敵の念動力の集中砲火を、一身に受けた。

 奈津の全身が燃え上がり、完全に炎の像と化していく。なのに、老女の顔は、微笑んでいる。蔵人が泣きわめき、ひかるが叫んだ。

「奈津様、逝かないで!」

「…一美と、淳一を、頼みますよ。それから、あの人に、わたくしは、ずっと、幸せだったと」

 

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 奈津の姿がぼやけ、崩れ、ちりぢりの炎のかけらとなって散った。ひかるを抱きかかえた蔵人が、歯を食いしばってテレポートし、二人は姿を消した。

「あいつらを追いますか?」

色めき立つ魔多羅衆に、アオイは首を横に振る。

「もっと手強い敵が近づいているよ。海からだ。我らが王と王妃の婚礼の邪魔をさせてなるものか!」

疾風のようにアオイが移動する。足を地面から離し、念動力で滑空している。魔多羅衆の全員がそのあとに従った。

 その光景を傍らに、礼子はかれんに引っ張られ、燃えさかる森に近づいていた。

「無理だよ、これ以上は熱くてもう…」

火膨れしそうな熱気に、顔をそむけながら、礼子はかれんと格闘する。かれんはいきなり礼子の腕に噛みついた。激痛に悲鳴を上げ、反射的に礼子はかれんの足を払って、もろともに地面に転がる。一回転したときには礼子がかれんの腕をねじ上げ、膝で背中を押さえつけていた。

「いやあ!放せ!あたしは、命なんかいらない、あるじ様と一緒にいたい!あの人は、今夜、行ってしまう。自分もろとも、敵を滅ぼすために」

「かれん…?あんた、魔王の気持ちが、わかるの!」

礼子は愕然とする。そのとき、礼子の背後で、爆発音が轟いた。同時に激しい銃声が響き始めた。

 

 一美とカーリー・マー。二人の力はほとんど拮抗していた。

 さながら、二頭の巨竜が絡み合っているかのように、天空に巴型の渦を巻いている。紫色の電光に包まれる一美。真紅の炎の尾を引くマー。大気を焦がし、雲を引き裂き、雷電と火球で大地を灼きながら、戦いは続く。

「あたしの、まぁを返せ、カーリー・マー!」

「まだ言うか!あたしは花宮雅子だよ。鳴滝一美と友だちだった、まぁそのものさ」

「ちがう!おまえは、魔王の碧血が産んだ、破壊と死の怪物だ」

「まぁの中に、ずっといたのさ。いまのあたしが、本当のまぁなのさ!」

「うそだ!闇に帰れ、カーリー・マー!優しかったまぁを、あたしに返せ!」

 

「礼子…ちゃん。ここにいた…のか」

苦しそうな声が響くのに、礼子が顔を向けると、ボロボロになったブルゾンをまとった多佳雄が、よろめきながら近づいてきて、すぐ横に膝を突いた。血の匂いがした。

「動物探偵さん、怪我を?」

「たいしたことは、ないさ…さあ、逃げよう。ここも…戦場になってしまった。あの伊那谷みたいに…」

 礼子と多佳雄に腕を掴まれて立ち上がったかれんは、泣き始める。

「お願い…一生のお願い、あたしを放して。あるじ様のところへ」

そのとき、三人から一〇数メートルの位置に何かが落下して炸裂した。爆風が三人のからだを吹き飛ばした。

 

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 多佳雄の長身が、礼子を包み込んで地面に落ちた。彼の身体の下敷きになり、しばらく礼子は息もできなかったが、なんとかもがいて抜け出す。その手が何かでずぶぬれになっている。鼻を突く血の匂い…

「探偵さん!…唐沢さん!返事をして!」

揺さぶる礼子の顔は歪む。多佳雄の身体から流れ出す血は、地面に水たまりのように広がり、とめどがない。

「…もう…僕には君を守れない…沙世子ちゃんを捜して、一緒に、逃げるんだ…あの子は、火の中から生きて、帰ってきた子だ…」

蒼白な唇を振るわせて、多佳雄はかすれ声で礼子に告げる。

「早く…生きて、うちに帰りなさい!由起夫と秋に、よろしく…」

わずかに多佳雄の頬に笑みが浮かび、それはそのまま凍り付いた。命の火が、その瞳から消えた。

 嗚咽しながら、礼子は立ち上がり、かれんの姿を探す。どこにも見えない。

「かれん!沙世子!一美!まぁ!どこにいるの!」

 

 多佳雄の命を奪ったのは、海上から放たれたロケット弾の一発だ。二隻の異様な船が、若洲東岸をかすめて、荒川河口に侵入していた。エアクッション型輸送艇=LCACだ。四〇ノットの高速で水上に浮かんで突っ走る、ホバークラフトである。それぞれに五〇人近いキメラ・グループの戦闘員を載せ、ロケット砲と重機関銃を上陸予定地点に浴びせながら、夢の島に突入しようとしていた。

 ロケット弾の猛砲火に、魔多羅衆の数人が五体を四散させる。ワクラが激怒して念動力を放つ。海面に水柱が走り、真空の刃がLCACのエアクッションを切り裂くが、巨大な輸送艇は、波を押しつぶしながら、夢の島少年野球場の端に乗り上げ、そのまま突き進んでくる。

「あの船を、火の塊に変えてやれ!」

アオイが高く叫ぶ。その肩を12・7ミリの機関銃弾がかすめる。ゆっくりと進むLCACから、雪崩を打って戦闘員が飛び降りてくる。銃火が嵐のように魔多羅衆に襲い掛かり、同時に手榴弾が炸裂し始めた。

 

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 ぐわっ!と火炎が弾けて、地軸を揺るがす爆発音が轟く。LCACの一隻が燃料タンクを発火させ、10数名の戦闘員を乗せたまま火だるまになった。だがもう一隻は、野球場の柵やフェンスを押し倒しながら前進を続ける。絶え間なく重機関銃弾を吐き出しながら、小山のようなホバークラフトは、アオイたち、魔多羅衆の中枢メンバーに狙いを付ける。

「ちいい!清掃工場まで引け!」

アオイの命令に、魔多羅衆のほとんどがテレポートして消えた。その能力を持たない残りの魔多羅衆と一般人に、容赦なく銃火が浴びせられる。

「ひとり残らず、殺せ!」

業火に照らし出されるLCACの艇上で、アーサーは悪鬼の表情で喚き続けている。キメラグループの戦闘員は、防刃シャツ並みに軽いボディアーマーを着た上に、予備弾倉を胸にも背中にも隙間なく並べている。手にした銃はかなりまちまちだ。米軍制式のM16ライフルもあり、旧ソ連製カラシニコフや、イスラエル製ガリルを持っている者もある。歴戦の兵士に特有な冷静な動作と、アーサーの狂熱が移ったような目つきで、ひたすらに射撃し続ける。

 数十名の戦闘員を左右に展開させ、進撃を続けたLCACも、ついにエアクッションが効かなくなり、艇体が接地して動きを止めた。アーサーは先頭を切って艇から飛び降りる。その腕にはM60機関銃が抱えられている。

「敵が倒れても気を抜くな。奴らはモンスターだ。形がなくなるまで頭を吹き飛ばせ!」

 逃げまどう人影に、区別なく銃弾を放ち、グレネードを撃ち込み、アーサーたちは殺戮を続ける。だが、眼前に迫った清掃工場が、突如、振動した。

「なんだ!地震か?」

工場を形作るコンクリートが、ジグソーパズルのように砕けたかと思うと、まるで鳥の群のように夜空に舞い上がった。そして、大小のコンクリート片は、滝となってキメラグループ戦闘員めがけて落下した。男たちの絶叫はコンクリートの雪崩の中に呑み込まれて消えた。

 

 「礼子!」

少女の呼び声に、礼子は振り向く。辛うじて燃えていない僅かな木立の中に、津村沙世子の美しい顔立ちが浮かんでいる。その回りには、十数人の人間がしゃがみ、身を寄せあっている。ほとんどが女性と子供だった。礼子はその輪の中に駆け込み、沙世子の手を握る。

「唐沢探偵が…奈津さんが…」

嗚咽する礼子の頭を抱き寄せ、沙世子は呟く。

「あたしには…えりかさんほどの力はなかった。悔しいよ、みんなを守れなくて…でも、もうひとりも死なせやしない!」

沙世子は不意に鋭い目で、天を仰いだ。ジェット機の爆音に似た大音響が響き、何かが炎に包まれて落下してきた。怯える礼子をかばいながら、沙世子は叫んだ。

「一美!あれは、一美よ!」

 

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 流星のように地面に落ちた炎の塊は、二つに別れてバウンドする。それぞれ、少女の形を取り、地上に立ち上がる。

 激しく肩を上下させ、荒い息をつきながら、一美の闘志に溢れた瞳は、輝きを失っていない。20メートルほど離れて立つカーリー・マーの赤い唇は、既に笑っていなかった。

「なぜ……どこから、そんな力が出てくるの?」

マーの声には、あどけないと言っていい戸惑いと、そして微かな怯えが混じっているようだ。一美は、喘ぎの中から、低く、しかしきっぱりと言った。

「うちが、まぁを好きやいう気持ちが、うちの、力や!」

「好き?…あたしを…?」

マーの瞳の中に、揺れる色がある。一美は、叫んだ。

「うちは、まぁを好きや!まぁと、ずうっと一緒に、生きていきたいんや!」

 ぐらり、とマーがよろめいて、両手で耳を塞ぐ。緋色の袴が乱れ、倒れそうだ。

「あたしは…死んだのよ、一美。あたしは…生き返ったあたしは、もう…一美と笑ったり、怒ったり、そんなこと…もう」

「まぁ!あなた?!」

沙世子が驚いて踏み出す。礼子も目を見張る。

「あたしたちのまぁが、戻ってきた?」

しかし、マーは踏みとどまり、唇に歪んだ笑いが浮かぶ。

「だからね、ここまで来て、後戻りは出来ないんだよ。今のあたしは、血を飲まないと生きられない。そんなあたしにしてくれたのが、一美なんだよ。ああ、そこに沙世子もいるじゃない。二人の血を飲めば、サヨコ伝説は終わり、あたしが、永遠の伝説となって、君臨するんだ」

 マーは疾風の速さで距離を詰め、一美の首を両手で掴んだ。歯を食いしばり、マーの手首を握りしめて抵抗する一美だが、マーの両腕はじりじりと一美ののどを引き寄せ、マーの真紅の口が大きく開かれた。

「やめて、まぁ!!」

絶叫して沙世子が飛び出した。礼子も夢中で突進する。どうやってマーを止めるのか考えもつかないが、そうせずにいられない。

「来たら…あかん…沙世子…」

そう呻く一美の顔は赤黒く紅潮し、鼻腔から、一筋の血が流れ出した。薔薇の香りが、礼子に達した。

(いつか、いつだったか、こんな時が、あった!)

礼子の脳裏に、瞬間的に過去がフラッシュバックした。

(一美はあの時、敵の体内にテレポートして、自分もろとも分子まで粉々に砕け散ろうとした…)

 

    151

 その一瞬。

 一美の全身が黄金色に輝き、消え去る。

 カーリー・マーが激怒と恐怖と絶望とに凍り付く。

 沙世子が、立ちすくむマーに体当たりしていく。

 沙世子の身体が、さしのべた指先から、マーの身体に入り込む。影と影を重ねるかのように、完全に解け合っていく。

 そして、マーと沙世子がひとつになった少女の身体は、一美の発した黄金の輝きを内部から放った。

 あまりの眩しさに、礼子は目を閉じ、掌で顔を覆う。

 それでも、見えた。

 一美とマーと沙世子、三人の少女が一つの肉体の中に、同時に存在するのが。

 テレポートしてきた魔多羅衆たちは、驚愕と畏怖の表情で為すすべを知らない。

 「王妃が…なんということだ…」

 アオイが狼狽しきって近づこうとするが、輝く少女を正視できず、服の裾を踏んで無様に倒れ伏す。

(ありがとう…沙世子。そして、一美。あたしは…行くね)

礼子の耳に届いた声は、まぎれもない、花宮雅子のものだった。

(カーリー・マーも、間違いなくあたしの中に居たもの。連れて行くよ。沙世子と一美の友情への、せめてものお礼…)

(さようなら、まぁ)(まぁ…まぁ…まぁ!)

限りない優しさを込めた惜別の声は、沙世子のものだ。そして、嗚咽する声は、一美。

(さあ、あたしの中のカーリー、帰るよ、闇の中へ!)

決然と雅子の声が告げた。

 輝く少女の肉体が、三つに分裂した。一美と沙世子の姿は、すぐに礼子にもわかった。だが残る一つは、揺らめく紅蓮の炎が人の形になっているものだった。炎は苦悶し、のたうち、膨れ上がり、巨大な鬼女か魔神のような姿になってそびえ立つ。

「カーリー・マー、王妃よ!」

アオイが絶叫し、手をさしのべた虚空で、炎の巨像は砕けた。無数の火の粉が天空一杯に広がり、散った。

「さようなら、まぁ」

 そうつぶやく礼子の髪にも、火の粉は降りかかったが、少しも熱を感じさせず、雪片のように溶けた。

 

     152

「王はどこに?!どこにおわすのか?」

目を吊り上げてアオイが喚く。反射的に礼子は、かれんが目指していた公園の森を振り向く。だがそこは既に燃え落ちて、焦げた幹が墓標のように天を差しているばかりだ。

 泣き伏している一美を助け起こそうとしていた沙世子が、ぎくりと身を起こした。その視線を辿った礼子は、異様な地面の隆起を見て目をこすった。

(あたしの…見間違いか?)

だが、改めて目を凝らし、礼子は息を飲む。

 それは、ナナセがさっき歌っていた、人体のピラミッドの位置だ。高さ20メートルほどだったそれは、今や三倍ほどにも伸び、そして、積み重なっていた人間の身体は、緑色の炎をあげ、もはやそのほとんどが、骨と化している。緑色の炎に包まれた、人骨の巨大な集積。

 沙世子が声を震わせた。

「あんなにもたくさんの人が、あそこで死んだ筈がないわ!あの…あの骨は…どんどん下から膨れ上がっていく!あれは、いったい、なに?!」

 人骨の山の頂きに、長身の男が座っているのが、ようやく礼子の目にも映った。紛れもない、あれは…

「魔王!」

叫んで一美が立ち上がる。同時にアオイが走り出す。

 魔王は膝の上に、小柄な少女を抱いていた。長い髪が、緑の炎に煽られて舞うが、少女の身体はぐったりと弛緩して、全く動こうとしない。礼子も、アオイや一美、沙世子と共に人骨の大円錐に近づく。振り仰ぐ顔に、魔王の静かな声が降り注いだ。

「ナナセよ、よく歌ってくれた。キメラグループの攻撃に傷つき死んだ者の魂に加えて、五十七年前に焼夷弾に灼かれた私の父母、妹を含む、夥しい魂たちを地底と海底から呼び寄せて、その恨みの炎で、今私に力を与えてくれている。ありがとう、おまえはもう、眠って良いぞ…母の元へ、行け」

 少女の身体が、魔王の膝からゆっくりと滑り落ち、人骨の山に呑み込まれていく。その白い小さな顔に、至福の微笑みが刻まれているのを、遥か地面から、礼子は確かに見た。

 さらに、礼子は発見する。人骨の急斜面に両手両足を突き立て、もがきながら昇っていく、ボロボロの制服を着た、かれんの姿を。

 立ち上がった魔王は、一つの小さな頭蓋骨を掌に載せていた。それを大切そうに差し上げながら、もう一方の手で、かれんを差し招いた。転げ落ちそうになっていたかれんの身体が、すうっと持ち上がり、魔王の前まで移動した。かれんは、全身で魔王にすがりついた。制服の背中から、緑色の炎があがった。

「アオイ、今から私の婚礼だ。この娘が私の妻だ」

 アオイたち魔多羅衆は、ただ茫然と見上げたまま、膝を突き、頷くしかない。

 一美がよろめきながら、宙にジャンプする。魔王の高さまで上昇し、叫ぶ。

「なんの、なんのために、結婚するんだ!」

     152

「王はどこに?!どこにおわすのか?」

目を吊り上げてアオイが喚く。反射的に礼子は、かれんが目指していた公園の森を振り向く。だがそこは既に燃え落ちて、焦げた幹が墓標のように天を差しているばかりだ。

 泣き伏している一美を助け起こそうとしていた沙世子が、ぎくりと身を起こした。その視線を辿った礼子は、異様な地面の隆起を見て目をこすった。

(あたしの…見間違いか?)

だが、改めて目を凝らし、礼子は息を飲む。

 それは、ナナセがさっき歌っていた、人体のピラミッドの位置だ。高さ20メートルほどだったそれは、今や三倍ほどにも伸び、そして、積み重なっていた人間の身体は、緑色の炎をあげ、もはやそのほとんどが、骨と化している。緑色の炎に包まれた、人骨の巨大な集積。

 沙世子が声を震わせた。

「あんなにもたくさんの人が、あそこで死んだ筈がないわ!あの…あの骨は…どんどん下から膨れ上がっていく!あれは、いったい、なに?!」

 人骨の山の頂きに、長身の男が座っているのが、ようやく礼子の目にも映った。紛れもない、あれは…

「魔王!」

叫んで一美が立ち上がる。同時にアオイが走り出す。

 魔王は膝の上に、小柄な少女を抱いていた。長い髪が、緑の炎に煽られて舞うが、少女の身体はぐったりと弛緩して、全く動こうとしない。礼子も、アオイや一美、沙世子と共に人骨の大円錐に近づく。振り仰ぐ顔に、魔王の静かな声が降り注いだ。

「ナナセよ、よく歌ってくれた。キメラグループの攻撃に傷つき死んだ者の魂に加えて、五十七年前に焼夷弾に灼かれた私の父母、妹を含む、夥しい魂たちを地底と海底から呼び寄せて、その恨みの炎で、今私に力を与えてくれている。ありがとう、おまえはもう、眠って良いぞ…母の元へ、行け」

 少女の身体が、魔王の膝からゆっくりと滑り落ち、人骨の山に呑み込まれていく。その白い小さな顔に、至福の微笑みが刻まれているのを、遥か地面から、礼子は確かに見た。

 さらに、礼子は発見する。人骨の急斜面に両手両足を突き立て、もがきながら昇っていく、ボロボロの制服を着た、かれんの姿を。

 立ち上がった魔王は、一つの小さな頭蓋骨を掌に載せていた。それを大切そうに差し上げながら、もう一方の手で、かれんを差し招いた。転げ落ちそうになっていたかれんの身体が、すうっと持ち上がり、魔王の前まで移動した。かれんは、全身で魔王にすがりついた。制服の背中から、緑色の炎があがった。魔王はかれんを軽く抱きすくめながら、言った。

「アオイ、今から私の婚礼だ」

 アオイたち魔多羅衆は、ただ茫然と見上げたまま、膝を突き、頷くしかない。

 一美がよろめきながら、宙にジャンプする。魔王の高さまで上昇し、叫ぶ。

「なんの、なんのために、結婚するんだ!」

 

    153

 魔王は、真摯な眼差しで、一美を見つめている。その瞳に全く敵意はない。むしろ、愛おしむような光があった。

「一美、違う宿命を持って、おまえとは出会いたかった。なろうことなら、私の妻は…おまえであって欲しかったぞ」

 振り仰ぐ礼子は、頭の芯が痺れたようになる。

(魔王の…一美への、告白!?)

「だが運命の岐路は、この娘をわがもとへと送ってきた。私の命はもう永くはない。そうだ。結婚の意味は、わが碧血を、この世界に残すためだよ」

 一美の肩先から電光がほとばしり、空中に紫の火花が炸裂した。

「勝手なことを、勝手なことを言うな!かれんは、おまえの呪わしい血を伝える道具か?許さへん!そないなこと、絶対」

 怒りに震えて一美が突進する。だが碧のバリアに弾かれ、人骨のピラミッドにぶつかりながら地上に転げ落ちた。

「聖なる婚礼に邪魔はさせないよ!」

アオイが昂揚した顔で叫び、一美を背後から羽交い締めにした。人骨のピラミッドが振動し、無数の骨が舞い上がり、魔王とかれんの姿を覆い隠す。

「このまま、息絶えるがいい、一美。奈津のあとを継ぐおまえをここで、魔王への生け贄に」

アオイの両手が一美ののどに食い込んだ。その爪は鋼鉄の刃となって皮膚を破った。もがく一美の顔が蒼白になる。

「ふふふ…私の爪に掴まれた者は、すべての能力を封じられるのさ。知らなかっただろう…このまま、くびり殺してやる!」

アオイの美しい顔は、猛禽のように獰猛に歪み、その両手はまるで鷲だ。

 そのとき、燃える森を突破して、黒い大型乗用車が猛然と走り込んできた。魔多羅衆が即座に反応し、ワクラたち数名が念動力を集中する。エンジンルームが爆発し、ホイールを飛び散らせながら、黒の乗用車は炎上停止した。そのドアから、長身の女性が転がりだし、手にした拳銃を放つ。銃弾はアオイの額の手前で、バリアに弾かれて逸れた。同時にワクラたちの念動力が長身の女性をずたずたに引き裂いた。倒れた時には彼女は既に絶命している。奈津の秘書、ひかるだった。

 だがそのとき、アオイの傍らにテレポート出現していた蔵人を、魔多羅衆は止めることが出来なかった。黒い僧衣をまとった逞しい腕が、アオイの脇腹めがけ、裂帛の気合いと共に突き込まれる。

 

    154

 蔵人の腕は肘まで、アオイの身体に埋まった。首をねじ曲げ、アオイは蔵人をにらみつけ、うめく。

「…もっと早く、おまえの息の根をとめていれば…」

「一美、逃げろ、一族みんなの希望だ、おまえは」

蔵人の傷だらけの武骨な顔が、少年のように澄んだ表情を湛えた。彼の鍛え上げた腕はアオイの筋肉を破り内臓を貫き、心臓を掌に掴んでいた。蔵人がその掌を力の限り握りしめるのと、魔多羅衆の念動力が蔵人に襲い掛かるのとは全く同時だった。

 寸断された蔵人の肉体は、血しぶきをあげて崩れ落ちる。アオイの爪が外れて、一美も前のめりに倒れ伏す。だが、アオイは立っていた。蔵人の鮮血を全身に浴び、真紅の像と化して。

 その真っ赤な美女の姿が、徐々にしぼみ始める。美貌が老いさらばえた老婆のものへと戻っていく。

「碧血の効果が切れた…」

ワクラが恐怖に震える声でつぶやいたとき、アオイは脇腹の穴から、滝のように緑色の血を流し、燃え尽きた消し炭を崩すように潰れた。赤と碧に染まった銀糸の着物に隠れて、その肉体は全く見えなかったが、長い髪はすべて白髪になっていた。

 血に狂ったワクラの目が、一美を捜し求める。礼子と沙世子が一美を支えて、立ち上がらせている。吼え声をあげてワクラは衝撃波を一美めがけて放つ。沙世子が礼子と一美を後ろに突き飛ばして立ちはだかり、両腕を広げた。

 沙世子を包むオレンジ色の光に、凶暴な真紅の光が刃のように斬りつける。圧倒的なパワーに押され、沙世子がよろめく。そのとき、地面に腹這いになったまま、一美が言葉にならない怒りの叫びをあげた。焦げた地面を白熱させて、電撃が走り、ワクラを直撃した。ワクラの黒革のジャンパーが火を噴いた。髪も炎をあげ、ワクラはのけぞって吹っ飛ぶ。

「殺してはだめ!」

沙世子が一美に飛びついた。

「ひとりでも殺したら、いつまでも、殺すのをやめられないのよ。もう、戦いは終わらせるの!」

 のたうち回るワクラに、魔多羅衆が駆け寄って火を消し、介抱している。その輪の中から、中年の男が立ち上がり、泣き顔で沙世子に頷く。

「ああ…もうたくさんだ。お袋を葬らせてくれ。おまえたちも…」

アオイの息子、キリトはそう言って、血塗れの銀の着物に歩み寄る。

 その上半身が、揺らいだように礼子には見えた。連続する銃声が轟き、キリトの身体は数発の機関銃弾を浴びて、腰から上がちぎれ砕けていた。

 

   155

 全くの不意打ちを浴びて、魔多羅衆がばたばたと倒れる。

「ばかな!キメラグループの奴らは、あの『天狗倒し』で全滅した筈…」

 若いコノマが茫然とつぶやく。その頭部に大口径の銃弾が命中し、首から上が消し飛んだ。怒りの絶叫をあげて、ワクラが魔多羅衆の死骸を掻き分けて飛び出す。瞬時に銃弾が集中するが、バリアが全部食い止める。反撃の念動力がワクラから放たれた。しかし、傷つき消耗したワクラの力は敵を捉えきれない。

 高らかな嘲笑がワクラの背後で沸きあがった。振り向いたワクラの顔に押しつけるようにして、M60マシンガンの銃口が火を噴いた。バリアの輝きが砕け散り、ワクラは仰向けに地面に叩き付けられ、起きあがらなかった。

 礼子の目に映るのは、死体ばかり。だが感覚が麻痺して、何の感情も湧かない。ベルト式弾帯を肩に掛け、機関銃を腰だめにした背の高い男が、礼子に向かってゆっくりと歩いてくる。その男は英語で喋っていた。礼子の聞き慣れた声だった。

「おれたちをふつうの人間と侮ったな、超能力者ども。大きな間違いだ。おれたちは神の兵士だ。神の手に護られている。コンクリートの塊を降らせたくらいで皆殺しにはされない。生き残ったこの27人が、おまえたちに最後の審判をくだしてやる」

「アーサー!あたしよ、礼子よ、やめて!」

 青いガラス玉のように冷たい輝きの瞳が、礼子を捉える。アーサーの唇に笑みが浮かぶ。

「やはり魔女たちとともにいたのだね、礼子。その魂を救うには、こうするしかないのだ」

M60の銃口があがり、礼子の胸を狙いかけたが、急にその動きが乱れた。

「一美!最悪の魔女め!」

進み出た一美が、礼子をかばって立つ、罵声をあげて、アーサーは一美めがけて引き金を絞る。だが、発火しない。アーサーをバックアップしていた別の戦闘員が、暗視装置の付いた重い狙撃銃を持ち上げる。これも発砲しない。素早くボルトを操作して不発弾を捨て、次弾を撃とうとするが駄目だ。

「なんだ?くそ、赤石えりかがまだいるのか!」

血走った目でせわしく辺りをうかがうアーサーに、一美は沈痛な声で告げる。

「えりかはもういいひん。巡航ミサイルからみんなを護って、力を使い果たしたんや。うちにえりかと同じ事はできへん思うてたけど、沙世子に言われて気付いた。えりかの意志を、うちらは引きつがなあかんのや」

 沙世子が頷いて、一美の横に並ぶ。白い寛衣をまとった少女二人に、礼子が加わった、3人の姿から、再びオレンジ色の光が滲みだした。その光が到達すると、キメラグループの戦闘員の放つ銃火が沈黙していく。

 英語の叫びがアーサーに向かってあちこちから飛ぶ。

「なんだこれは」「銃が役に立たないぞ」「魔女の力か」

 アーサーはM60を投げ捨て、太股に吊った鞘から、大型のコンバットナイフを引き抜いた。

「バヨネット(銃剣)のある奴は装着しろ。ナイフのない奴は、木の杭を持て。刃が折れたらパンチとキックで戦え。われら神の兵士の力を見せてやるんだ!」

 

      156

 『神の兵士』たちは、銃剣やコンバットナイフをかざし、獲物を狙うライオンに似た静かさで前進を始めた。冷徹な意志とたぎるような闘争心が滲んだ彼らの姿に、生き残った魔多羅衆が戦意を振り絞って立ち向かおうとする。

(おまえが超能力者を忌み嫌い、皆殺しを決意したのは…姉さんが、超能力者に殺されたから…)

 不意に礼子は、一美の念話を脳に直接聴いた。一美はアーサーに向けて語っていた。アーサーはコンバットナイフを鋭く一閃し、激しく頭を振る。

「黙れ魔女!テレパシー攻撃で惑わせようとしているな」

(あたしの声が聞こえるということが、どういうことかわかる?おまえもまた、テレパシー能力があるという事なんだよ)

アーサーと戦闘員たちがぎくりと足を止める。

(魔多羅衆が、砕いたコンクリートの雨を降らせた時、おまえは、反射的に地上の窪みに飛び込み、次に、落下した大きなかけらの陰に飛び込んだ…それが身を守ってくれると予感したからでしょ?それはもう、超能力と言っていいものなの)

「何が言いたいんだ!おれが、おまえと同じ超能力者だと?くだらん!」

アーサーは絶叫して一美めがけて突進した。

(あたしも、ふつうの人間と超能力者は全然違う生き物だと思っていた。でも、まぁが昔、言ってくれたよ。ちょっとだけ変わってるだけの、友達だってね)

 一美が微笑んだ。アーサーのコンバットナイフは一美ののどに向かって突き出されたが、そのわずか数センチ前で止まった。

(凶暴で、愚かで、悲しくて、でも愛おしくて、人間て、そういう生き物なんだね。アーサー、おまえも、あたしも)

 悲しく微笑む一美の顔を見つめたアーサーの手が、激しく震え出す。

(あたしも、間違ってた。もっと早く、それに気がついていたら…えりかに、もっと早く会えていたら…こんなにたくさんの人を、失わずにすんだ)

一美の瞳から涙があふれ出す。そして一美は、アーサーの手に静かに触れ、握りしめた。アーサーは、ナイフを落とすと、ゆっくりとひざまづいた。

「姉さん…誰よりきれいで、誰より優しかった、姉さん!!」

崩れるように、アーサーは一美の胸にしがみつき、号泣した。

 

     157

 人骨のピラミッドの轟音が、静かに治まっていく。乱れ飛んでいた骨が、地面に散り、積み重なる。

 骨の斜面を、ゆっくりと降りてくる魔王は、軽々とかれんを抱いている。少女は黒衣に包まれて満ち足りた表情で身体を丸め、魔王の胸に頬を当てている。

 長身の美青年は、一美の前まで歩み寄ると、そっとかれんを大地に降ろした。かれんは安らかな寝息を立てていた。

「私の妻を、護ってくれるか、一美」

ひたむきな視線で語りかける魔王に、アーサーを抱きしめた一美は、泣き笑いの表情を浮かべる。

「ほんまに…男いうのは、勝手な生き物やな。自分の夢とか使命とかのために突っ走って、後始末はみんな女にさせよういうんや」

 魔王は天を仰いで、つぶやく。

「ああ、おまえの言うとおりかもしれない。だが、私は行かなければならない。キメラグループ…いや、死の商人どもは、とうとう決断したぞ。浦賀水道沖の原子力潜水艦は、熱核弾頭付きのトマホークを、今、発射した」

 アーサーが、愕然として一美の胸から顔を離す。キメラグループ戦闘員たちが驚愕に凍り付く。

「えりかと一美、沙世子…おまえたちが示した防御は、奴らの兵器体系を根本から覆した。イージスシステムなど及びも付かない完璧なミサイル阻止を、生身のおまえたちがやってのけたのだ。奴らは恐怖している。あらゆる手段を用いて、おまえたちや私を抹殺しなければ、眠れぬ夜が続くのだと」

 立ち上がった一美は、歯を食いしばり、空に絶叫した。

「うちらは、ただ、生きて、友達と笑って、暮らしていきたいだけや!なのに!!」

 魔王は冷徹に語り続ける。

「私は、これを待っていた。奴らはおまえの張るバリアより上空で核弾頭を炸裂させるつもりだ。その前に、私は弾頭を受け止める。すでに中性子弾頭は私の手の中だ」

 アーサーが、目を丸くして魔王に叫ぶ。

「ビースト…おまえは、おまえは、それが狙いだったのか!」

 魔王は、初めて微笑して、一美を、沙世子を、そして礼子を見つめた。

「私は、戦うことしか知らない。人間の血を貪ってただ生きながらえることなど、耐えられない。死の商人どもの太った腹から、血を流させてやりたかった。だがそのために、魔多羅の者たちや、多くの人間の命を、私も無慈悲に奪った。償えるものではないが、せめて私に出来うる、最良の行動をとる」

 

      158

 短く刈った金髪の頭を激しく振り、戦闘員のひとりが銃剣を着けた自動小銃を構え直す。

「嘘だ。おれたちが居るのに、核ミサイルを発射するはずがない。ビーストのたわごとに惑わされるな!」

「そうだ、我々の使命は、ビーストと魔女どもを皆殺しにすることだ!」

口々に叫んで戦闘員たちは、魔王と一美、沙世子を狙って突進する。礼子にも銃剣が襲ってくる。

 血しぶきが噴きあがり、礼子の視界を覆う。恐怖と怒りに痺れて礼子の体は動かない。目だけが、自分や一美を護って戦い始めたアーサーの動きを追う。アーサーのコンバットナイフは、仲間の戦闘員の頸動脈を切断し、ボディアーマーが覆っていない下腹部をえぐり、大腿部の動脈を刺し、瞬く間に3人を倒した。

「裏切ったな!」

罵声と共に、数人の戦闘員がアーサーに殺到する。振り回す銃剣に、アーサーのコンバットナイフが弾かれた。その瞬間、礼子の身体はジャンプしていた。

 アーサーの背後からナイフで襲おうとしていた戦闘員の首筋に、上段回し蹴りを叩き付ける。軽い少女の体重にしては、信じられないほどの打撃に、戦闘員は昏倒する。着地しざまに、礼子の拳は、目の前にいた別の戦闘員の膝に打ち込まれる。あまりのスピードに、膝関節が外れ、戦闘員は絶叫して倒れた。

 休むことなく礼子は前蹴りを繰り出す。股間を砕かれた戦闘員が前のめりに悶絶してくるのを押しのけ、立ち上がった礼子は、アーサーと背中を合わせる。

「礼子、君は…君は、そんなにも強かったのか!」

アーサーの驚きの声に、礼子は涙の滲んだ瞳で答えた。

「あたしの力じゃないんだよ…わかる?アーサー…ミサイルからあたしをかばって死んだ、唐沢探偵が、今、あたしの身体に一緒に居るんだ」

 礼子は全身に感じている。優しく、そして強かった男の体温を。茫洋とした表情で、頼りなさそうでいて、でも危難の時にはためらいなく命を賭けて行動した、唐沢多佳雄の魂が、今自分の肉体に力を添えていることを。

 

     159

 英語の罵声が礼子に降りかかる。膝を曲げられて身動きとれなくなった戦闘員が恐怖して喚いているのだ。

「おまえも魔女だったのか!なんて国だ、ここは」

礼子は、誇りを持って叫ぶ。

「あたしは、ただの、人間だよ。そしてえりかも、一美も、沙世子も…まぁも!」

 一美が礼子に頷く。

「わかってくれたんやね、礼子。そうや、うちには今、奈津ばあちゃんが傍(そば)にいる。それがわかる。誰かてほんまは、持っているんや、そないな力を!」

 戦闘員たちが全員、無力化するのを見届け、魔王が天を仰いだ。

「さらばだ、一美。長く生きろ、逝きし友のためにも」

「待ちいや、魔王!おまえ、核弾頭抱えて、どこへ!」

美しい青年の顔がちらりと一美を見て、微笑した。

「もう隠してはいない。私の心を読め」

 礼子は息を飲んで、魔王の心を覗こうとした。自分にも開かれている、そう感じたのだ。

 だが、そのとき、沙世子が悲鳴を上げた。

「どう言うこと?あれは!」

 沙世子のしなやかな指の示す先で、ゆらり、と幽鬼のように立ち上がったのは、ワクラだ。7・62ミリ機関銃弾を浴びて、原形をとどめない頭部に、目が強烈な光を放っている。

「カーリー!!」

一美と沙世子が同時に絶叫した。礼子にもわかった。花宮雅子の人格と混じり合っていたカーリーが、分離独立した凶悪な存在として、碧血で不死となったワクラの肉体に、憑依したのだ。

 カーリー・ワクラの、砕けた口が裂けるように開くと、轟音をあげて業火が噴きだし、魔王に襲い掛かる。魔王の顔に焦燥の色が浮かぶのを、礼子は初めて見た。

「間にあわへん!行くんや!ミサイルを、受け止めて!」

高く叫んだ一美が、カーリー・ワクラめがけて電撃を放つ。紫電に貫かれて、カーリー・ワクラの身体が痙攣する。魔王がテレポートして消えた。

 がくがくと身体を踊らせながら、カーリー・ワクラが一美に振り向く。破壊されていた頭部が、凄絶なほどの美貌を取り戻している。だがワクラと決定的に違うのは、その瞳だ。真紅の炎を宿した、破壊神の炬眼。

「そんな…まぁが闇の中へ連れて行ったんじゃないの!」

礼子は震える膝を押さえて、喚いた。カーリー・ワクラが炎と一緒に嘲笑を噴き上げる。

「花宮雅子に憑いていたカーリーは確かに去った。だが、人間に邪悪で残虐な心のある限り、カーリーはいつも憑いて回るのだ」

 火炎攻撃を、バリアで必死に食い止める一美に、カーリー・ワクラは蛇のようにすり足で突進する。その両手の爪が、瞬時に槍のように長く伸びて、一美の胸を狙った。

 礼子は目を覆い、悲鳴を上げる。一美の胸に、十本の爪が食い込むのが見え、背中まで貫通する音が耳に届いたのだ。

「沙世子!!いややああああ!!!」

一美の絶叫が鼓膜を振るわせ、礼子は愕然として目を開けた。

 一美と見えたのは、同じ寛衣をまとい、長い黒髪と白い肌をした、沙世子だった。両手を翼のように広げ、体を反らした美しい少女の胸に、黒く棒のように伸びたカーリー・ワクラの爪が埋まっていた。

 

    160

 十本の爪に串刺しにされたまま、沙世子は立っている。純白の服が、じわじわと紅に染まっていく。のけぞったその頭を、一美が支え、身体を抱きかかえる。狂乱して、頬ずりしながら叫ぶ。

「ひとりでテレポートできへんかった沙世子やのに!うちをかばって、こないなこと」

ブシュッ、と一瞬の擦過音を残し、カーリー・ワクラの爪が元通りに縮んだ。ぐらり、と沙世子の身体が崩れ落ちる。

 黒い髪に縁取られた白い顔が、陶器の人形のようだ。誇り高い表情はそのままだったが、見開かれた瞳は焦点を失い、穿たれた穴のように暗黒だ。その額に、一美が額を接して、死にものぐるいで呼びかけている。

(沙世子!沙世子!私を、置いて行くな!!)

「危ない、一美!」

礼子は懸命に走る。倒れた沙世子を抱きかかえた一美の、無防備な姿に、カーリー・ワクラが舌なめずりして接近していく。

 色あせていく沙世子の唇に指を当て、流れ出た一筋の血をすくった一美が、顔を上げた。その乾いた瞳に浮かんだ絶望と怒りの凄まじさに、礼子の身体がすくむ。同時に、周囲の空気が、きな臭い匂いを放った。

 めくるめく雷電が、空一杯に網目を走らせた。もはや雷鳴などというモノではなかった。天が炸裂し、大気が吼えた。あまりのまぶしさに、礼子の視界は真っ白になり、轟音は聴力を完全に奪う。感動にも近い畏怖が全身を貫き、礼子は地面に伏せた。

(一美は、全ての制約を解き放った。これがあの子の本当の力だ。)

心の中に響いたその声は、奈津のものだったように、礼子は思った。目を閉じていたが、心に、景色が映った。

 夢の島を覆って、巨大な雷雲が天を突き、百千の稲妻が大地に突き刺さる。カーリー・ワクラの身体から、真っ赤な炎が立ち上り、巨大な蛇と化す。真紅の蛇はのたうち回りながら、一美をその顎に呑み込もうとするが、再び雷雲が吼えて、落下した無数の稲妻が、蛇をずたずたにちぎった。

 だが、カーリーの声はやまない。ちぎれ飛んだ真紅の蛇のかけらは、大地のそこここで燃え続ける。

「私は、死ぬことはないよ。何度滅ぼされても、人の心の闇に、生き続ける」

そのとき、魔王の声が応えた。

「ならば、私と共に戦え。果てなき戦場が、待っているぞ。おまえは、本来、私の妃のひとりだったのだからな…」

 その声に、真紅の炎たちが、歓喜の叫びをあげて舞い上がった。どこまでも上昇し、雷雲を突き抜けていった。

 それでも、雷鳴は轟く。一美は、沙世子を抱きしめて、叫び続けている。

「死なせへん。もう、どないなってもいい。うちは、沙世子と、ひとつや!」

 ひときわ巨大な電光が、一美と沙世子をもろともに貫いた。黄金の輝きが二人を包み、礼子にはもう、一美と沙世子の姿は見えなかった。

 

 

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