まぁ解説です

 

 

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黒い聖母の森にて 
碧血の魔王 
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雅子、まぁ、カーリー・マー、Marについての考察 

☆花宮雅子について☆
 小説「六番目の小夜子」で、最初に個人名として登場するのが、花宮雅子、である。
そしてしばらくは彼女の視点での描写が続き、この子が主人公か?と思わせる。人物としての造形は「静かでおっとりとした印象」であり、「含羞を帯びたあどけない少女」であるが、「花宮って派手じゃないけど、決して津村と見比べても見劣りしない」のだ。
 しかし小説の筋書きにおいては、関根秋と津村沙世子が主演級で、雅子と唐沢由起夫は彼らを引き立たせる脇役という感じである。にもかかわらず、その存在感は大きい。一般少年少女の代表という役割を割り振られ、この小説の大きな魅力の一つである「青春劇」(ラブコメと言おうか)では由起夫と共に主役と言っていいからではないだろうか。

 さてドラマのタイトルクレジットでは、雅子、としか書かれていない。玲の親友でバスケ部の仲間、クラス委員、という役どころである。理知的でリーダーシップもある頼れる級友、という雰囲気で安心して見ていると、次第に彼女が異常なほど「サヨコ」の実在にこだわっていることがわかってくる。で、ご存じのように、暴走し、ブラック化するわけである。
 「怖いサヨコ」は津村沙世子の役どころと思っていたら、それ以上に雅子がサヨコの暗黒面を体現してしまったわけで、玲に非情に偽物でいろと命じたり、沙世子を意地悪く糾弾したりする悪役ぶりは実に小気味よくそれまでの優等生的態度を裏切ってくれた。そして玲に正体がばれた夜の掲示板前での鬼気迫る表情に、私は痺れてしまったのであった。
 クラス委員を務め、次期バスケ部長とも目される雅子は、理性と良識で強く自分を律していたに違いない。だからこそ自分の中に存在するどろどろした無意識の闇を、強く否定していたか眼をそむけていた。そこに心理的陥穽が生じると言うことは、分析心理学者ユングが「エナンティオドロミー(逆流)」という概念で定義しているそうである。
 雅子の無意識の中に成長していった「サヨコ」は、親友の玲さえも傷つけて平然とし、転校生沙世子を虐めて快感を覚える魔女のごときものとなり、雅子はついにその「暗黒のサヨコ」と自己同一化してしまうのだ。このダイナミックな「変身」過程こそ、私がドラマ「六番目の小夜子」の随一の魅力とするところである。

 

まぁ、そしてカーリー・マーについて
 「まあちゃん」という愛称はちゃんと小説でも使われている。ドラマにおいては「花宮さん」とか「雅子」とほとんど呼ばれることがなく、「まぁ」ばかりが耳に残る。ところでなぜ「まあ」でなく「まぁ」という表記が六小夜ファンサイトでは定着したのだろうか。思うに、(いろいろしたいこともあるがひとまず)という意味の副詞「まあ」と区別するために、「あ」を小さく表記するやりかたをとっているのでは(私はそうなんです)。
 また、ドラマでは愛称で呼ばれる登場人物が雅子と由起夫(ユキ)以外には見あたらないことも、「まぁ」が印象に残る理由の一つかもしれない。

 こうして、「まぁ」に魅入られて、六小夜外伝を創作し続けていくうち、私の描く「まぁ」はどんどん暗黒の色合いを強めていった。ついに吸血鬼テーマの外伝まで行き着いたとき、とある参考文献の中で見つけた名前が「カーリー・マー」だったのである。
 カーリー(Kali)はインドの神話において、破壊・創造神であるシヴァ神の妻とされ「黒色の女神」または「黒い肌の女神」と呼ばれる。戦いと殺戮に飢えた破壊者である。古代フェニキア文明の女神アスタルテ(キリスト教だと悪魔アスタロト)とも同一視される。カーリーを「聖なる母」と称える呼び方が「カーリー・マー」(Kali Ma)らしい。
 またカーリーはカーリーガットとも呼ばれることがあり、この言葉がなまってカルカッタになったそうだ。カルカッタは彼女の聖地で、そこにはカーリーの大神殿があり、19世紀頃までは、しばしば男の子の生け贄が捧げられていたとか(ひえ^^;)。
 そうか!まぁはじつはそんな強大な魔女神だったのか!と驚愕すると共に、執筆していた外伝「碧血の魔王」における魔王をシヴァ神に比定していた私は、運命の符合に戦慄したのであった。

Marについて
 今回の文化祭に参加するサイトを、「黒い聖母の森にて」「碧血の魔王」という外伝で構築するに当たり、サイトのタイトルをどうするかという話になった。チャットで相談するうち、「まぁ伝説=レジェンドオブまぁ」が良かろうと決まる。そしてそれを英語で表記しようと言う段になり、「まぁ」のアルファベットの綴りに悩んだ。
 「カーリー・マー」を重視するならば「Ma」あるいはaの上に長音記号を付けたものがいいのだが、発音からだと「Mah」が読みやすいのではという意見も捨て難かった。そんな中、「Mar」という英単語に、「傷つける、損なう、破壊する」という意味があると教えられ、破壊の女神、カーリー・マーの化身たる、私の描く「まぁ」には、この綴りがもっともふさわしいのではないかと考えたのであった。(相談に乗って下さった方々に深く感謝。以上で、拙い「まぁ」についての考察は終わりです^^;)

 

    

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