序

 

 

 

 

 

 碧血の魔王…ノスフェラトゥ2002


…彼等にとっての最大の敵は、本当の意味の平和―言葉の上だけの「平和」ならば、彼ら自身がかえって口にし、いな強調さえする事もある―である。なぜならば、彼らの生命を維持するのに不可欠な血液は、戦争ないし戦争準備であるからである。

(「死の商人」岡倉古志郎著・新日本出版社刊、より引用)

 

…六月の末。赤石山脈の西側、天竜川の一支流の畔…

 原生林の中の、小さな谷間。その狭い空は、真っ黒な雨雲に閉ざされ、土砂降り、という言葉が尻込みするほどの猛烈な雨で、振り仰ぐことすら困難だ。いつもはせせらぎに過ぎない渓流が、瀑流と化していた。茶色に濁った流れの中からは、雷鳴のような音が響きわたっている。押し流される巨岩が川底を削り、あるいはお互いに激突しているのだ。

 岸辺に立つ男はその音に心底怯えていたが、それよりも彼にとって恐ろしいのは、傍らにいる母親だった。雨合羽のフードをはねのけた彼女の顔は、滝に等しい雨に打たれて、白髪がべったりと頭に張り付いている。骸骨に皮を被せたくらいの痩せさらばえた顔…しかしその両眼は凄絶な精気に燃え立ち、唇は恍惚とした笑みをたたえていた。

「待ち望んでいた時がやってきたんだよ。わたしたちの主君が蘇る。この雨が、三石川を龍に変え、龍はあの忌々しい寺を、結界ごと押し流してくれる。その泥の中から、必ずあのお方は立ち上がる。もっと降れ!この狭苦しい谷を、根こそぎ流すまで!」

 ついに激流は岸を削り、根こぎにされた巨木が流れに倒れ込む。絡み合った木が流れを堰き止め、氾濫した泥流が、悪鬼のように谷を浸食して、凄まじい地崩れを誘発した。天も地も揺らいでいた。

 男は恐怖に耐えかねて、頭を抱えてしゃがみ込む。老女は歓喜の叫びをあげ、枝のような腕を振り回す。老女の足元には、ビニールシートで覆われた、細長い物体が横たわっている。

 

…同時刻。長野県飯田市、JR飯田駅前…

「やめなってば、一美。この雨じゃ、かれんだってどっかに雨宿りしてるよ。歩いて探すなんて無茶だって」

沢渡礼子は、バスから駆け出そうとする鳴滝一美の腕を必死に掴み止めている。

「あかん!うちにはわかるんや。かれん、どこかで大変な事になってる!今、いま助けにいかな、間にあわへん!」

一美は、礼子の手を死にものぐるいでもぎ離し、豪雨の中へ飛び出した。長い髪も白い中間服の制服も一瞬で水に浸り、身体に張り付く。そのしなやかな輪郭が、たちまち雨足に邪魔されて礼子の視界から消える。

 一美は雨の中で、溺れるようにもがく。叩き付ける雨粒で、目を開けることはもとより、息すらも満足に出来ない。絶望の中で、一美の脳には、かれんの発する悲鳴が鳴り続ける。一美は呪った。自分のテレパシー能力があまりに貧弱なことに。

(またあの時と同じように、うちはかけがえのない友達をなくすんか!)

ずぶぬれの髪を振り回しながら、一美は絶叫した。落下する雨粒が、爆発したように弾け飛んで、一美の前に、見えない屋根に覆われた進路が開けた。まっすぐに伸びる、雨を弾く透明なトンネル。その彼方には碧玉の色をした山脈が高く聳えている。

 

 

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